独 り 言
O N
■入院
■記憶の片隅
■秋葉祭り
■遷座祭
■高見島
■表彰式
■かよい猫
■かたパン
■笹井宏之さん
■街歩き「坂出」
■発動機運転会
■宇多津のおひなさん
■小朝独演会
■街歩き「高松」
■朝
■バイオリンリサイタル
■いびき
■初泳ぎ
■盆休み
■葬式との結婚式
■田植えの頃
■大型連休
■ペンタックスLX
■バレンタインデー
■出会い
■初詣
■餅つきの日
■食事会
■自家用車
■レントゲン撮影
■今日はごみの日
■ネット仲間の写真展
■妻の手料理
■墓参り
■みかんのプレゼント
■お正月
■時代
■夏の演奏会
■写真展「琴南点描」
■大工の棟梁
■セッター犬ポニー
■夜の散歩
■笑い声
■HP2年を振返って
■文化の日
■写真展チベット紀行
■写真集
■写真展
■葬儀
■製品モニター
■蹴鞠
■ファッション
■田植の頃
■その道
■柏餅
■話術
■マニュアル一眼レフ
■BS日本の歌
■卒業旅行
■合格発表
■田中一村
■駅弁
■まぐまぐ
■猫の話
■写真教室
■落葉焚き
■写真家アラーキ
■寒い日
■柴犬チロ
■すきな写真家
■わが心の絵画展
■金毘羅さんの干支置物
■NHKラジオ歌謡「里帰り」
■餅つき器
■ニューイャーコンサート
■ドラマながらえば
■ビルの谷間の観音様
■家庭内別居
巨人とO N
子供の頃からずっと巨人ファン。
V9時代は本当に強かった。
最近の巨人は強いのか弱いのか、ほんとうに解からないときがある。
1点が捕れなくて連敗があったかと思うと、これが野球かと思うほど点を捕って、それなら明日に捕っておけばいいのに。
出てくる選手は昔に比べて個性が余りないように思うし、みんなイケメンでスマート。
その上怪我人が多く登録抹消でいなくなる選手が多いこと、キャンプで何をやってきたのだろうかと不思議に思ってしまう。
毎年高い契約金で獲得したドラフト1番や2番が居たはずだが、代わりの選手はなかなか出てこない。
たとえ出てきたとしても期待したほどの活躍ができていない。
そんな中、ルーキー投手の高木勇人が開幕5連勝中。
社会人野球出身で何年もドラフト候補になったのに捕ってもらえない悔しさを味わった苦労人です。
ちょっと期待してテレビ試合観戦が楽しみになってきた。

NHKのスペシャル番組があって王、長嶋が出演。
宿敵の星野仙が二人にあれこれとインタビュー。
懐かしの天覧試合、長嶋のさよならホームラン画像。
世紀の王のホームラン世界新記録達成ビデオを見るにつけて、何か涙が出てきた。
長嶋さん「今はスーパースターがいないね!やっぱりスパースターがいないとね。」
王さん「3打席三振しても4打席目にはホームラン、それを見に来てくれるファンがいたから。」

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 入 院
夏間近の七月、右腕を大怪我してしまいました。
救急で来たのは香川大学の付属病院。
整形外科のN先生、「手術が必要ですね」。
いわゆる全麻で緊急手術。
N先生、初めてなのにどこかでお会いしたような気がして?。
いえいえお初でしたが、なぜか安心しておまかせする気がしました。
65年生きてきてはじめての手術入院でした。

二ヶ月の入院。
本当は辛い入院ですが、なぜかいい思い出しかありません。
看護師さんもよくしてくれたし、リハビリの先生も一心にしてくれました。
右腕だけの怪我なので歩くことや、食べることにそれほど不自由はないので院内を歩き 回ったり、大学構内を散歩したりと制限はあるものの自由を楽しみました。
病棟の職員の名前もほとんど覚えたし、構内のスタバなど暇があると出かけてしまう。
ここへ来てから院内の散髪屋に二回も通った。
散髪屋の主人が「刈るとこがないくらいや」と困惑顔。
同じ病棟の入院患者さんとも懇意にしていただいた。
まぁ、みなさんここでは退屈しているので元気な者は寂しいからでしょうね。
同室の若い大林さんとはカメラ好きと言うことで特に話が合ったのですが。
退院したのが9月の末。
それから12月の中ごろまで週三回のリハビリ通い。
怪我当初は右腕はダメかもと思ったことも。
しかし腕のいいお医者様とリハビリを一生懸命し、お陰さまで元通りとはいきませんが、
まぁこんなものでしょうというくらいまで回復しました。
入院の様子はこちらから?
見てもらうほどのことではないかな!
http://tyoda.eek.jp/nyuin/nyuin.html
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記憶の片隅

もう何年も前の話。
朝起きて、かがんで靴下を履こうとしていた時。
鼻の辺りがなんとなくムズムズして思わずくしゃみをしてしまった。
その時、腰の辺りに電気が走ったような気がしてそこに座り込んでしまった。
いわゆる「ギクリ腰」と言うやつで、数年に何回かやってしまう厄介なものである。
トイレはもちろんちょっと動くだけでピリピリと痛みが走ってこりゃ困った。
その日は約束の用事があって、休むわけにはいかないのである。
そこで、車にそーっと乗り込み痛みを我慢をしながら、いつもの外科医院で診察をしてもらうことに。
腰を屈めてそろそろ歩いて来た姿を診て、先生「えらそうやなぁ」(讃岐弁で辛そう)と。
先生は慣れたものである。
レントゲン数枚撮って骨に異常が無いのを確認して、診察台にうつむきになって腰辺りの背骨付近に針治療をしてもらう。
針から伝わってくる電気信号のビリビリが背骨にもろに利いてくるよう。
15分ほどで治療が終わると不思議なもので腰に少しは違和感があるものの立ってすいすい歩けるようになった。
ここの外科医院、最盛期には入院患者で病室は満員。
診察待合には朝から患者でいっぱいの日々でした。
それが先生が高齢になられてからは患者も少なくなり、膏薬目当ての年寄り多くなった。
治療は最大限で治療費は最低限の医は仁術のこの外科医院。
あの時のギクリ腰の時の治療費だってレントゲン数枚撮って二千円程だった記憶が。
医院の跡継ぎのいない先生が亡くなって、もう何年にもなる。
ある日思いがけず医院内を撮影することができた。
古びた病室を撮影しながら記憶の片隅にあの日のことが蘇ってくるのでした。
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秋葉祭り

四国高知県の山間にある小さな仁淀村。
今は仁淀川町となった別枝「べっし」に秋葉神社があります。
この秋葉神社に二百有余年続く祭りが秋葉まつりなのです。
二月十一日は一年でも一番寒い日です。
御輿行列は麓の岩屋、法泉寺、市川家、中越家と祭神ゆかりの地を笛や太鼓のお囃子を山々に響かせながら回ります。
中でも子供達の太刀踊り、そして長さ7メートル余りの「大毛槍」を投げ合う鳥毛ひねりは圧巻です。
三キロの山道を秋葉神社へとゆっくりと練り進んで行きます。  秋葉祭りに初めて訪れたのは10数年ほど前でした。
その頃はフイルム全盛の時代。
36枚撮りフィルムは祭りの熱気にすぐに撮りきって、持参のフィルム十数本はあっという間に終わってしまいました。
そして24年の秋葉祭り、青空が広がる最高の一日。
デジタルになった今、大きいメディアで800枚ほど撮影。
後で見るのが億劫になるほどです。
しかしパソコンで見る祭りの光景は10年前と少しも変わってなくて、二百年の歴史は脈々と受け継がれているんですね。
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遷座祭

香川県西部三豊市詫間町。
詫間港近くに、浪打八幡神社はあります。
長い石段を上がり、小さなお山の上の荘厳なお社の八幡様。
この本殿が火事で消失したのが、3年前のことでした。
幸なことに御神体は無事で、以来本殿脇の神興殿に祭られていました。
そのご、地元氏子の熱意で多額の寄進が集まり、立派な本殿ができたのです。
10月13日、遷座祭が執り行われました。
我が実兄は、本殿の電気工事責任者。
1年あまり工事に携わり、今日は関係者として礼服に身を包んで式に臨んだわけです。
私はもちろん、カメラマン。
頼まれもしないのに、三脚持参で準備万端です。
話に聞くところこの何十年、遷座祭など誰も経験したこと無いそうです。
色々聞いても、昔の資料のコピーを配布。
総代方皆、右往左往しています。
撮影の許可は、確か実兄が宮司に確認済み。
神様の正面からのフラッシュさえなければ、どんどん写してと。
ところが、カメラを持った年配の総代が我がカメラの上のフラシュを見て。
「こりゃフラシュはまずいんじゃないの」とおっしゃる。
おいおい、こりゃ困った。
一人でも駄目が出ると、その方に従うのがトラブル防止の秘訣。
やがて照明が消え、真っ暗闇の中松明が燈されます。
いよいよ神様の家移りです。
「鶏鳴」鶏の鳴き声があって、薄明かりの中進んで行きます。
で、カメラの感度をグーンと上げることに。
こんな時デジ1眼は便利、でもノイズが心配です。
我がボロカメラが頼りない。
三脚着けていても、ブレブレ覚悟でシャッターを切りました。
夜遅く帰宅。
データーをPCに取り込み、画像確認。
おおー!!写っている(^^)。
ブレブレも面白い。
我がカメラが、頼もしい(^^!。
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高見島

8月のはじめの暑い日でした。
高見島からおばあさんが尋ねてこられた。
島の高台に住んでおられる小野さんです。
「洗濯機が壊れてねぇ。」
3年前のやはり暑いとき冷蔵庫を届けに行ったのを思い出しました。
だらだらと長くて細い坂道を汗をかきながら小さい台車に冷蔵庫を乗せて運んだのでした。
夏は電気屋はとても忙しくて、猫の手も借りたいほどです。
島には、船で行くので半日は掛かります。
う〜ん、困ったな。
でも、おばあさんに懇願されると断りきれなくて日曜日のあさ6時の船で行く約束しました。
島の高台からの眺めは格別です。
庭から瀬戸内の景色が一望できます。
扇風機だけの和室でお茶をいただきながら世間話を。
生活は不便だけど住んではこれほどの所は無いそうです。
でも、心配は歳をとると健康が気に掛かるようで。
最近、数軒先のおばあさんが夕方頃に玄関先でこけて、そのまま土の上で一晩を過ごしたとか。
次の日の朝、寄合に出てこないので見に行ったら腰の骨を痛めて、じーっと我慢をしていたようです。
また違うおじいさんは、マムシにかまれて数日間誰にも連絡しないまま容態が悪くなったそうです。
島の西に綺麗に整備された墓地がありました。
海岸に面してとても日当たりが良く、ためらいも無く写真に収めました。
島に生まれ、自然の中でゆったりと生活をして、誰にも迷惑をかけることない暮らし。
凡人の私にはできますかな?
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表彰式

平成22年香川県美術展覧会。
今年は幸運にも入選、そして観音寺市教育委員会賞をいただくことになりました。
表彰式があるので出席をと、ご案内をいただきました。
こんな事今まで縁が無かったのに、ちょっとウキウキと出かけたという訳です。
式場の香川県立ミュージアム講堂には一番前の列を残して2列目から各部門の県知事賞受賞者が着席、 あと次の列に各市教育委員会賞の順に着席して開会を待ちます。
式典が始まる前に運営の県職員から、説明がありました。
まず、「表彰者の名前を順次呼ぶので席を立って右の方から前にお進み下さい。
一人一人壇上で表彰を受けた後、左の方から帰りひとつ前の列の席にお座りください。」
なるほど!!、右の端から呼ばれるのでこうすれば座っている人の前を通らなくてもいいのかと納得。
さすが県のお役人様はよう考えております。
で、式典が始まりました。
名前を呼ばれて最初の説明どおり右から前に出て賞状をもらったら壇上から降りて左の方から帰り着席。
説明されたように順調に進んでいきました。
ところが素人もいるものですから、お役人の思うようにはならないこともあります。
壇上から降りたら、出てきたほうの「右」に帰って行く人も。
そうすると、表彰を受けてすでに座っている人の前を、ちょっとごめん。
慌てて足を縮めたり、立ったりと大忙しです。
いえ、間違ってしまった人を責めてはいけません。
着席し、手にした表彰状は小さく震えているように見えました。
こんな事初めての経験ですから、船場吉兆ではありませんが「頭が真っ白」。
私はと申しますと、そりゃ心臓は前から元気でして。
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かよい猫

我が家に2匹ののら猫が、餌を求めてやってくるようになった。
右は、しま模様があって「しま吉」♂。
もう一匹、左は真っ黒で足に白く靴下を履いたようなので「ソックス」♂と名づけた。
最初の頃は、どちらも近づくとソソクサと逃げてしまう。
皿に花かつおをおいておいたら、知らんうちに食べているという具合だった。
そうこうするうち「ソックス」は、慣れてきたのか逃げなくなって、頭をなでてやるとグルグルと
喉を鳴らして擦り寄ってくるほどに。
もう一匹の「しま吉」は、用心深くてなかなか近寄ろうともしない。
強引に近づくとシャーと威嚇して餌を平らげたら、どこかへさっさと行ってしまうのである。
あるとき、餌を食べている後ろからそ〜っと近寄って、わきの下を両手で持って、さーっと持ち上げてみたら
何とも意外で、ジーッと抱かれたままにしている。
はぁはぁ、こいつは野良猫だからこんなことされた事が無いのだな!。
で、それからはあまり警戒をしなくなった。
朝、昼、夕、ご馳走目当てに我が家の玄関で二匹そろって待っている。
そうなると可笑しいもので、こちらも楽しみにするようになって、ニャーニャーの鳴き声がにぎやかな、毎日なのです。
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かたパン
善通寺さん参道のすぐ近くに、熊岡菓子店がある。

「かたパン」と言って、メリケン粉を石状や煎餅状に硬く焼き固めた素朴な菓子を、明治の頃から代々作り続けている。
砂糖とニッキの味がするが、あとはこの店のオリジナルである。
ここ善通寺には、昔日本陸軍の師団があって、兵士たちのために日持ちがして食べ応えのある菓子をと、明治のころ作られたそうな。
知る人ぞ知る、今でも密かな人気スポットでもある。
休みの日には、上手く時間を合わせて買いにいかないと、買いそびれてしまう程で、素朴でなにか懐かしい味がする。
家族でせわしなくお客の相手をしている。
店の奥では、白い職人着の年老いた親父さんの姿が、ガラス障子越しに見える。
店はまったく明治の頃からの様相そのまま、木製の陳列ケースなどは、その頃にタイムスリップしたようである。
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笹井宏之さん
NHKBShiで26才で急逝した若い歌人筒井宏之「歌名笹井宏之」のこと見ていた。
こんな歌人がいたのは知らなかった。
う〜ん、才能というものは-------。
ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす
冬ばってん「浜辺の唄」ば吹くけんねばあちゃんいつもうたひよつたろ
葉桜を愛でゆく母がほんのりと少女を生きるひとときがある
内臓のひとつが桃であることのかなしみ抱いて一夜を明かす
えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力をください
真水から引き上げる手がしっかりと私を掴みまた離すのだ
ゆっくりと国旗を脱いだあなたからほどよい夏の香りがします
釣り糸にからまっているえびの手をほどく いっぽんにほん くるしい
風という名前をつけてあげました それから彼を見ないのですが
それはもう「またね」も聞こえないくらい雨降ってます ドア閉まります
「またね」「またね」聞こえないけど何回も雨に向かって手を振る「またね」
拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません
「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい
鞄からこぼれては咲いてゆくものに枯れないおまじないを今日も
------。
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街歩き「坂出」
久しぶりのお出かけ。

雲ひとつない空が気持ち良かった。
撮影しているとまだまだ残暑が厳しいですが、空の色は確実に秋の気配です。
旧国道11号線沿い、坂出元町商店街に入るあたりに、変わったオブジェを飾ってある米屋さんを、以前から興味津々で見ていました。
主人の遊び心いっぱいで、見ていて楽しいものです。
今日はあちらから、こちらからと撮影させてもらいました。
そのあとは、商店街をぶらぶらです。
驚きました。
閑散としていて、シャッター通りそのものです。
そう言えば、私も何年も来ていないのですから、なんとも言いようがないのですが。
小さなハギレ屋さんの店先で奥さんと立ち話、すっかりあきらめ顔の様子でした。
ここでしっかりと現状を残しておかなければ、などと思ってもいないのですが、まあ、歩き回ってきました。
地方はどなんなるんや、お役人様!
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発動機運転会
以前テレビで見たことがあって、一度この目で見てみたかった。
農家の片隅に眠っている古い発動機を収集してきて分解整備。
元通り組み立てて燃料を入れ、クランクを回して運転を楽しむ。

5月、丸亀のお城祭りのイベントでその発動機運転会に行ってきた。
会場は丸亀港西埠頭岸壁。
四国中から発動機が集まっていました。
本当にいろいろありますねぇ。
それに確かに古いといった感じの物ばかりです。
発動機という言葉にはなにか懐かしい響きがあります。
ドコドコと運転音が響き、あたり一面に白煙が立ち込めます。
みんな自分の発動機の運転に無我夢中で、カメラを向けても知らん顔。
始動しない発動機に一生懸命掛かりっきりのオーナーさん。
回転計を見ながら満足そうな顔の親父さん。
クレーン車で大型発動機を持ち込んできて、人が囲みこんでワイワイ言う中、無事始動。
ただそれだけの事に、いい歳の親父たちが熱を入れる魅力は何でしょう?
と言いながらこちらも2時間ほどカメラ撮影をしながらすっかり楽しんでしまいました。
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宇多津のおひなさん
3月のこの季節、宇多津の町では「町屋とおひなさん」といった町おこしのイベントが行われます。

お天気もよく、春の陽気に誘われ久しぶりに娘たちと出かけました。
あちらこちら町中の旧家ではお座敷に雛壇飾りで迎えてくれます。
さすがに由緒あるお雛様ばかりで堪能しました。
我が家もたしか木目込みのお雛さんが天井裏に仕舞ってあると思うのですが。
通りを行くと街角に小さな駄菓子屋さんを見つけ、これはとても懐かしいと思って入ってみると、
小さいお店の中は子供ずれの家族で
身動きできないくらい。
もうすっかり大人の我が娘たちも童心に帰ってすっかり楽しんでいます。
こちらは、こことばかりにカメラでしかり店の中を撮らせてもらいました。
もう一軒、こちらは古いものばかりを趣味で集めたというお家に。
部屋中懐かしいものばかりが矢鱈にあります。
明治・大正・昭和の匂いがプンプン!
有るところにはありますねぇ。
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小朝独演会
ひょんなことから、小朝の独演会に行ってきました。
田舎の町民会館は、テレビでおなじみとあって、大入り。
噺は、「試し酒」。
飯炊き下男が、五升の酒を飲んでしまう熱演に、こちらが身を乗り出してしまうほどです。
古典落語をきっちり聞くと、落語の技量がわかりますね。
あちらは、仕事でやっているのですから、当たり前なのでしょうが。
テレビでお笑いが、つまらんネタや駄洒落で笑いを取ろうとするのを見ていて何が面白い?
と思う事が多い近頃ですが。
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街歩き「高松」

久しぶりにカメラを持って、高松の街を歩いてきました。
表通りに隠れた裏道に入ると、一寸スリル感があるのです。
そのドキドキ感が、カメラに写しこめたらしめたものですが。
時々「ツマラナイ街の写真など写してどうするの。」と聞かれるのです。
でも毎日の生活では、限られたところで行動しているのでしょう、
街を歩いて「あれ!こんなところに、こんなものがあったのか」と、
改めて見てしまうとか、今まで有った物が何ヵ月後に来てみると、
無くなっている。
そして、突然目の前に現れたけったいな代物に、興味深々と見入るとき。
そんな何気ない街の変化を目の当たりにしたとき、「街も生きて呼吸をし
ているのだなぁ」と、こちらもその日1日ご機嫌がいいのです。
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年の夏は本当に暑かった。

35℃なんて夜が続いた日には、朝は頭がボーッとして正気ではないようでした。
冷房は好きではなくて網戸で窓を全開、扇風機を窓際に置いて一寸は外の冷気を取り込もうと
したのですが、外気も同じ温度で生暖かい風が。
それならと冷蔵庫からヒヤロンを取り出し、タオルで頭にくくり付けて何とかやり過ごす日が続きました。
8月もお盆が過ぎるころになるとさすがに朝晩は30度を切るようになり、正気を取り戻したかのように 朝の散歩に出かけると、 田んぼの稲も随分育って朝の日差しに輝いています。
カメラを持って出かける気力も無かった夏でしたが、正直なものでこうやって季節の移ろいを感じると気持ちも 生き返ったようになるものですねぇ。
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バイオリンリサイタル
今夜は演奏会に行って来ました。
神尾真由子ヴァイオリン・リサイタルです。
チャイコフスキーのコンクールで優勝したので一躍有名になりました。
座席は市民会館ホールの前から11列目で中央の特等座席。
かわいい真由子ちゃんの顔に素敵なステージ衣装もばっちり見えます。
ん!、音楽を聴きに来ているのでしたねぇ。
かの有名なストラディバリウスの名器での演奏は、さすがにすごい!!。
聞いているうちに体が熱くなってきました。
ホールでは冷房が寒いかもとウインドブレーカーを着込んで来たのに、満員御礼の大入で冷房がそれほどでなくて脱ぐのを忘れていました。
それにしても1曲が何分もの演奏、譜面無しで何曲も出来るものですねぇ。
わたしなんか、さっき聞いた電話番号なんかすぐ忘れてしまうのに、と感心しきりでした。
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いびき
妻と家庭内別居(笑)の我が家。
 夜一人離れた部屋で気楽に寝ていたら、妻の部屋からガタガタと大きな音がする。
何事やらと行ってみると、ドアの所で妻がヨロヨロと取っ手にしがみ付いて今にも倒れそうである。
「どないしたんや」と駆け寄ると、意識がもうろうとしているではないか。
こらいかん」と抱きかかえて横にした。
「大丈夫か」と声をかけると、弱弱しい声で「しばらくしたら直る」と目を閉じて寝てしまった。
 数日前から右肩が痛くて手が挙がらなく、夜もろくろく寝てなかったらしい。
トイレに行こうと立ち上がったとき、寝不足と痛みで貧血を起したようだ。
心配になってその晩は、横に布団を持ってきて並んで寝ることにした。
 翌朝、目を覚ますともう元気に起きて、朝食の準備をしている。
「大丈夫なんな」。
「もうだいぶええです」。
 次の日も並んで休む。
「また、昨日みたいになったらいかん。介抱してやらんとなぁ。」
3日目に妻が「もうええからあちらで休んで」と言う。
「何でや?」
「お父さんのいびきが気になって寝られへん!」
「ええ!!!そうな−−−−−ん!」
渋々いつものように別室で寝ることに。
翌日ホームセンターで、無線で鳴るチャイムを買ってきた。
押しボタンが2個で、鳴る音が変えられるようになっている。
妻の所からはウエストミンスターの鐘の音。
私の所からはメロディー。
私も歳ですから調子の悪いときの用心で付けときます。
押してみるとライトも点滅してメロディーが大きく鳴る。
これでいざと言う時にも安心だぞ、と一人悦にいるのでした。
それにしても我がいびき、寝ている間には聞くことができず、自分では認識がない、まったく始末が悪いのですなぁ!!!。
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初泳ぎ
 昨年母が亡くなったので今年は喪中。
と言うことで毎年行っている金刀比羅さんの初参りは今年はお休みである。
年末も掃除をしたくらいで正月も何もしないでごろごろしているのは貧乏人には手持ち無沙汰である。
パソコンを立ち上げてフォトクラブの掲示板を覗いてみると1日に恒例の初泳ぎ撮影の案内があった。
初泳ぎもう四、五年行っていないなぁ。
暇だからかと久しぶりにデジ1眼カメラを持って撮影に出かけた。
風はとても穏やかなお正月だが流石に気温は低くて耳に鼻が痛いくらいである。
まだ誰も来ていないので車のエンジンをかけたまま車で暖を取っていると一台の車が近づいてきて窓越しに何やらこちらに話し掛ける。
「今日、初泳ぎありますよねぇ」
「毎年やっているからあるはずですが」と言いながら時計を見ると9時前である。
確か毎年10時頃だったように記憶していたのだがやっぱり暇だから早く来てしまったようだ。
そうこうするうちにぞろぞろと人が集まってきた。
祝初泳ぎの横断幕を張る人。
 
紅白の幕や酒樽にマイクにスピーカーなど設営に忙しそうにしている。
そのうち黒だかりの見物人で一杯になってきた。
琴の音楽が流れて正月初泳ぎの雰囲気を盛り上げる。
やがて花火の合図でワッセワッセと赤や白のふんどし姿や水着の一団が威勢良く行進してきた。
 
すでに体がピンク色になっている若者もいる。
さぁ一斉にざぶ〜んと海へ。

見ているだけでブルブルしてくる。
カメラのシャッターを切りまくる。
今年の泳者はサービスしてくれて長くあちらこちらと泳いでくれた。
お陰で寒さも吹っ飛んでしまった。
モヤモヤを吹き飛ばして元気を与えてもらった年の初めでした。
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盆休み
今年の盆休みは13日〜16日と4日間である。
13日は妻の両親の墓参り。
15日は丁度母の四十九日にあたる。
空いた14日は何処かへとも思うのだが母が亡くなったばかりだし四十九日の法事が済むまでは何となく落ち着かないものである。
仕事もしないでボーっとしているのもどうだかと家の中の整理をはじめた。
家の中を見てみるとどうでもいいような要らない物やクリーニングから帰ってきた衣類が紙袋に詰まって矢鱈にある。
整理する時にと以前ホームセンターで買っていたスチールの棚をダンボールから出して組み立て見ることにした。
部屋中箱から出した部品や棚、おまけに梱包していたダンボールで足の踏み場もなくなった。
説明書を見たり留め具を付けたりしていると頭から汗がだらだらと落ちてくる。
これが仕事なら我慢もしなくてはと思うのだがまぁ仕方がない。
やがて、真夏のこの時期に汗をかきかきした甲斐があって丁度4段で一間ほどの板の間に置けるスチール棚が出来上がった。
クリーニングから帰った衣類を並べて2時間あまりで思いのほかすっきりとした。
16日。
母の四十九日の法事がすんだらなんだか気が抜けたようである。
午前中はだらだらと休んで昼過ぎから押入れに入れてあるプラスチックの衣装ケースの中の古い何時着るか分からない衣服の始末にかかる。
蓋を開けてガサーッと畳の上に広げると結婚以来の妻のスーツや子供の小さい時の衣類などがケース6個ほど。
一枚一枚広げてみては懐かしいなぁと言いながら処分するものを選んでゆく。
妻の若い頃のミニのスカート、こんなのはもう着れないわとボツ。
長女のワンピースは妻の手造りで小さくて可愛い。
次女の幼稚園の制服も出てきた。
嵩張るのにこんなに大切に仕舞ってきたのがわかるような気がする。
次ぎのケースは最近の衣類のよう。
娘達が1度か2度着ただけのようなものばかりで勿体無い。
でももう着ないからと処分の方へ。
未練たらしくグレーのTシャツやスエットの半パンツを「これだったら親父が貰っても着れるぞ」とゲットする。
昔はモノが無くて兄貴のお下がりを着て育った親父には何のためらいもありませ〜ん。
10枚くらいをナイロン紐で十字に縛ってゆくと、なんと10個ほどの古着の束が出来上がった。
ほかに古い毛布に布団など軽四にいっぱい詰め込んで市の集積場に引き取って貰いました。
これで少しは狭い我が家も広く使えるでしょうか(^^)。
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@葬式と結婚式
 数ヶ月入院していた母が逝った。
七夕の日の朝、病院から具合が悪いからと電話があって病院へ行った。
個室では先生の険しい表情から母のもうそれ程長くはないことを察した。
その日の夕方94歳の天寿を終えたのである。
葬儀は暦の関係から9日の土曜日となった。
      
信心だった母には生前に立派な戒名をもらってあるので慌てる事はない。
遺影の写真は元気なうちにと私がペンタの6×7を使ってモノクロで撮影したものを用意してしてあった。
10年は使わなかったかなぁ。
お寺さんは次兄が総代なので何かと相談がし易い。
葬祭場は以前から親しくしている○○葬祭。
そに日は生憎の大雨にもかかわらずたくさんの方が参列くださった。
母は馴染みのあった菩提寺の僧侶が何時もより大きな声で読経を上げてくださる中、冥土に旅立って逝きました。 


姪が結婚する事になった。
お相手は北海道の青年である。
東京に住んでいた姪が北海道の人と一緒になるのである。
母の葬儀から1週間後の7月17日が挙式の日であった。
結婚式の日は5月から決まっていたのだが葬式の日だけはどうしょうもない。
日にちが近づくにつれて母の病状が気がかりであった。
あとから思えば、高齢で何も分からなくなっていた母が、孫の結婚式の日に重ならないよう逝ったことに何か感慨深いものがある。
結婚式前日16日に北海道へ。
ずいぶん久しぶりに飛行機に乗る。
搭乗検査が最近は厳重になっているのに驚いてしまった。
持ち物はトレイに入れて検査機を通る。
別にやましい事はないのだが何か言われるのではと荷物が出てくるまで不安である。
検査官が「財布の中に硬貨がある方はトレイにお入れください」と言うので慌ててポケットから財布を出して別のトレイで検査機の中に。
特別な日なので一寸たくさん万札が入れてあるのだがなぁと田舎者は心配する。
無事北海道に着いて姪やお相手に会う頃にはもう結婚式モードになっていた。
見上げるほどの高いアーチ天井のチャペルでの結婚式。
そして、披露宴は両家親族だけのホテルでのこじんまりとした披露宴である。
       
かたちだけの仲人や何処の誰彼か判らない来賓の長々とした祝辞など一切なし。
女性司会者の両人の簡単な紹介のあとは新郎の伯母の温まる祝辞、新婦の叔父の乾杯があってあとは料理がどんどんと出てくる。
12時〜の披露宴だからお腹のコンディションは最高である。
  

  

  
会食の中ほどで新郎の父が息子に贈るメッセージの披露があった。
今まで育てた父親の想いや新しい門出への励ましなど聞いているうち胸が熱くなってきた。
最近歳をとったのか涙もろくなってきた。
同じ歳くらいであろう新郎の父の言葉に目出度い席でオイオイと泣いてしまった。
涙腺が緩んで目がぼーっとしていたのでしたが、この日のために用意したコンパクトデジカメでしっかりと料理を激写。
いゃ〜いい結婚式でした。
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田植えの頃
 梅雨に入ったというのにやたらに暑い日が続いている。
6月10日頃にまとまった雨が降ったきりであれからまったくと言っていいくらいに雨が降らない。
この時期としては異常なくらいで30度の真夏日の気温である。
 四国香川の中部では毎年13日に満濃池のユル抜き「池の底の水門を開ける」行事が行われる。
雨の少ない讃岐平野で先人が命をかけて作った農業用溜池のお陰で雨が降らなくても1年貯めた満濃池の水が田畑を潤すのである。
例年ならばこの日から田植えがあちらこちらで始まるのであるが、自然の雨が長い間降らないのために水が上手の田から順番に下手の田まで来るのにカラカラの土ではなかなか時間がかかってしまうようである。
  
農家では苗代の準備は万全で待っている。
最近ではこのような風景も珍しくなっている。
それと言うのも苗も農協から買う時代で、田植え機を買ったらそれに合った大きさの苗を田の広さだけ注文すればよく、手間要らずのようである。
そのうえ讃岐では農地も狭く田植え機で日曜日に旦那一人でわけなく済んでしまうようだから昔の苦労が嘘のようである。
やがて用水路を勢いよく水が流れてきた。
  
コンクリートの用水路の適当なところに木の堰をしておのおのの田に水を引き入れてゆくといよいよ田植えの始まりである。
昔の田植え機と違って今はトラクターのように座席に乗り込み、田んぼを往復すると一度に何筋も植えてしまう。
あちらの田んぼこちらの田んぼと大きな機械音を立てながら走り回るのであるが、田植えに関係の無いものには騒々しくて日曜日のテレビの音が一段と大きくなるのである。
夕方にはすっかり田植えも終るのであるが。
  
これからが大変である。
まだまだエアコンをかける時期でもないので窓を開けっ放しにして網戸で居るとこんどは例の大合唱である。
ゲコゲコゲコと夜中鳴き続けるのである。
こりゃなかなか眠れんなぁとチョツト冷蔵庫のよーく冷えたやつをグーッと一杯やると、今度は体が火照ってきてますます眠られん。
扇風機を強にして横になっていると気持ちよくウトウトと寝てしまった。
翌朝起きると。
体がなんだかだるいし、鼻水が出る。
扇風機はタイマーにしてあったのになぁ。
まぁ今の時期は体が馴染んでいないからリポビタンでも飲んで元気をだそう。
思い出せば毎年同じ事のような気がする。
そのうちに大合唱も子守唄に聞こえるし、暑いのにも慣れてくるのだから不思議なものである。
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大型連休
 五月の連休は多いところでは10連休というところもあるそうだが、小さい商売の我が家では3.4.5日の三日くらい休めるのが精一杯である。
娘達も社会人になっていっしょに何処かへ出かけることも少なくなってきたし、妻も本当は出かけたいのだろうが人ごみは嫌いだというしこの数年家でごろごろしている。
折角3日もあるのだからと以前から気になっていた屋根のペンキぬりをすることに決めたのである。
連休前に何時もの金物屋に頼んで屋根用のペンキ15キロ2缶と刷毛に麦わら帽子手袋など必要なものを揃えてもらった。
結婚した年に新築した家はナケナシの金で立てたものだから屋根瓦は焼き物でなくてセメント瓦に吹き付け塗装をしてある。
その後建増しの時にも古い個所との取り合わせの関係でやはり瓦はセメント瓦を葺き、吹き付け塗装を全面にして貰った。
あれからずいぶんと長い間吹き付けをしていなかったのだがこんどは暇だし自分でやろうと思ったのである。
3日のあさ梯子を架けて悠々と屋根に登る。
五月晴れの清々しい空が気持ちいいペンキ塗りの日である。
遠くに高松自動車道が見えるが車の行列である。
このいい天気に車の中で何時間もかかって出かけるのはバカだなぁと心で呟きながらペンキの缶の蓋を開ける。
ペンキの匂いが作業意欲を掻き立てる(^^)。
塗装の吹き付けは薄い膜で瓦を塗装するので持ちが悪いが刷毛塗りのほうは厚く塗れて長持ちがするのだとるんるん気分で作業開始。
刷毛で一枚一枚丁寧に塗ってゆく。
2時間も塗ったところで腰を挙げてさてどれくらい塗れたかな、と後ろを振り返ってみてみると10分の1くらいしか塗れていないではないか。
我が家は東西に長く平屋建で約40坪ほどある。
東の端から塗り始めてまだ瓦10筋程しか塗れていないのである。
このままではペンキも金物屋さんの計算してくれた量ではとても足りないように思う。
昼近くになってくると足が痛くなってきた。
平地では何でもないのに屋根は勾配があるので片方の足は曲げ、もう一方はいっぱいに突っ張っている格好でこれではとてもである。
立ち方が悪いのかと両方の足が同じになるように体勢を変えてみたが塗り難いので再び元の体勢で作業を続ける。
昼になって食事に降りて食卓に座るとずいぶんと疲れてしまっているのがわかる。
これではかなわんとマッサージ機にかかって15分ばかりマッサージをする。
やっぱり吹き付けでないと。
昼からは多度津の仕事場にコンプレッサーと吹きつけの道具を取りにでかける。
それからエアーホースやらバケツやら攪拌道具やらと準備に手間取るのである。
刷毛塗りの時はご近所にご迷惑がかからないと思って挨拶をしてなかったのだが吹き付けは余分な塗装が飛んだりとご迷惑がかかると、一件づつお願いに廻ったりして昼からの作業もずいぶんと遅れてしまった。
やがてシューシューと順調に吹き付けが進む。
といっても刷毛塗りに比べてであるが。
専門の屋根塗装屋と違って1回1回小さな塗料タンクしかないので塗料を補充したり機械の調節を取ったりとなかなか手間である。
やっと半分ほど塗り終えて1日目は終了である。
夜になってやたらと肩や腰がこっている。
やり慣れない事をするのはいかんなぁと少し弱音が出てくる。
なあに一晩寝たら明日は元気はつらつファイト一発と床につく。
朝になって目がさめるともう8時近く。
何時もだったら6時には目がさめているのになぁ。
と目を擦りながら食事を摂り着替えて昨日の続きにかかる。
まだたくさん残っているなぁと意欲が半減。
でもやりかけた仕事は最後までやり通すのが男であるとわが身に鞭打って「それ程でもありませんが」始める。
今日もいい天気だなぁ。
こんなに照らんでもいいのに。
せめて曇って欲しいくらいである。
麦わら帽子よくぞ準備していたものだ。
手順が昨日と違って解ってきたのか今日は何とか行きそうである。
コンプレッサーの音も順調だしペンキの減り様もだいたい良いようだ。
6時近くになって9割近くは塗れたと思う頃風の向きだろうか車の走る音がよく聞こえる。
行楽帰りの車が順調に走ってゆく。
みんな楽しかったように流れてゆく。
昨日の朝はバカにしていたのに。
もう今日はこれでお仕舞いにしょう。
あぁ、疲れたなぁ。
別に急ぐことでもないし明日はお休みにしよう。
屋根から下りて片付けして風呂に入りゆっくりとくつろぐ。
妻の手料理に舌鼓を打ちながら何時ものワインを飲む。
明日は1日ユックリ休養するぞ。と今年の大型連休でした。
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ペンタックスLX
 3月も半ば。暖かくて穏やかな休日には撮影に出かけるところだが、今年は天候がおかしくてこの時期に四国でも雪が降った。
家でごろごろしていても仕方がないからこんな日は部屋の片付けでもと思って、朝からごそごそしはじめた。
二段積にした白いカラーボックス4個。
写真集やカメラ雑誌がぎっしりつまっていてその上にカメラバックが置いてある。
アルミの大きいのはペンタックス6×7の機材一式、そして皮製のオシャレなのは最近式デジ1眼istDsとそのレンズたちが入っている。
もう一つ、使い込まれた布製のバッグは少し埃を被っているがマニアル1眼レフLXが入っている。
「ずいぶん使用していないなぁ」、と久しぶりに取り出して空シャツターを切ってみると小気味良いシャツター音がする。
フイルムカメラはもう一つMZ-5があるのでLXの元気なうちにどうにかしないと可愛そうな気がしてきた。
以前に独り言で書いたようにLXはメーカーが赤字を承知で作りつづけた高級品。
今は生産を止めてしまったがペンタツクスファンには憧れの存在である。
しばらく考えているうちチョツト思いついたことがあって、パソコンに向かってバーチャル写真展JPGでお世話になっているすばるF4さんのホームページに繋いでみた。
すばるF4さんの使用機材リストをみるとフイルムカメラを数台お持ちのようであるが、その中にLXの姿はないようである。
すばるF4さんが撮影される作品は常々拝見してなかなかのものと思っていたので彼ならばこのLXを可愛がってくれるのではと思い、使ってくれないかとお願いメールを差し上げた。
返信メールでは、何時かはLXを持ってみたいと思っておられたようで、喜んで使っていただけるとのことである。
何時までもお蔵入りの状態で置くよりもこれでLXも喜んでくれるとホツトした。
早速荷造りにかかる。
購入時の箱類はキチンと仕舞ってあったのでカメラ本体にワインダー、アイレベルファインダーを元のように箱詰めし、箱のないMレンズ2本をエァークッションで痛まないように梱包する。
そして娘を嫁に出すように「新しいオーナーさんに可愛がってもらうのだよ」といいながら郵パツクの箱に全部を詰め終えガムテープで封をした。
月曜日に早速郵パックで送り届ける。早いもので翌日火曜日には到着する模様である。
荷物が無事着くか昔は心配したものだが最近はインターネットで荷物の移動状況がわかるので安心である。
夜遅くすばるF4さんから到着のメールが届いた。
>あまりに嬉しくて、雑記帳に書込んでみました。
>到着の様子など書いてみましたので、お手透きの時にご覧頂け
>れば幸いです。
>いや〜今日はちょっと興奮気味です。
>本当にありがとうございました。
そう言ってもらうとお送りした甲斐があった。
雑記帳を拝見するとすばるF4さんの喜んぶ様子が手にとるように伝わってくる。
写真にも到着したLX達が嬉しそうに納まっている。
あとは十分に活躍してくれて、すばるF4さんのいい作品作りのアイテムになってくれるのを願うばかりである。
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バレンタインデー
 2月14日はバレンタインデー。
思い出してみても若い頃にはそんな華やかな日は無かったように思う。
好きな人が出来てプレゼントの交換など恥ずかしくて。
高校は工業高校でそれも全部厳つい男ばかりだったせいもある。
妻と出合ったのも見合いで、それもお寺の住職の世話だった。
バレンタインは基督様の行事なので縁が無かったのかなぁ。

 娘達は今風にバレンタインデーを結構楽しんでいるようだ。
毎年その頃になると休みには何処かへ出かけては綺麗な袋を下げて帰ってくる。
ギリチョコにギリギリチョコなのかこんなにたくさんと思うときがある。
本命はあるのか気になるが。
そんな中、毎年必ず親父にもプレゼントのチョコを用意してくれている。
娘二人から「ハイ親父にギリチョコ」でも嬉しいものである。
今年は写真のようなプレゼントである。
丸いパッケージが長女で金色の四角いのが次女から。
ゴディバとかいって高級品なの?
開けるのが勿体ないくらいである。
妻からもプレゼントが。
「お母さん、私にその気があったの!!」
ドイツの白ワイン「マドンナ」である。
チョコをかじりながらワインとはいかないが、それでも嬉しいかぎりである。
ワインは妻のとっておきの手料理をいただく時の楽しみに、そしてチョコはインターネットでもしながらカジルとしよう。
ところでホワイトデーは何時かな?
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出会い
 1月12日は今年になって一番の寒い日になった。
朝から強風が吹き遠くの四国山地は白く雪化粧をしている。
今日はいつも仕事でお世話になっている工務店様の棟上のお手伝いである。
朝早くからズボン下を数枚重ね着しチヨッキにセーターに防寒ジャンパーの完全装備?で出かけた。
棟梁は何時ものY大工さん。
もうひとりは棟梁の知り合いのT大工さん。
今回初めてお目にかかった。
ヘルメット姿からずいぶんと若い大工さんである。
足元もきっちりと作業足袋で固めて颯爽と足場を渡ってゆく。
地上で梁や桁を柱などと組み立ててクレーンで吊り上げると高い足場から大きな木槌で叩き込みながら手際よく組み上げてゆく。
下から大したものだと感心して見上げてしまう程である。
昼休み彼と暫し話をする。
ヘルメットを脱いだその顔はとても生き生きとしている。
そして男前で今風で言うならイケメンと言うのだろうか。
話すことばも丁寧で本当に好感がもてる話し方である。
「何で大工さんになったの」と聞いてみたら。
親父さんが大工さんで、兄弟3人がいずれも大工さんになって一緒に仕事をしているという。
「へぇ!そうなの、いちども他の仕事したことないの、例えば会社勤めなど」と聞いてみたが初めからこの仕事だと言うのである。
感心して聞いていると。
弟はカンナ削り「いかに薄く長く木を削るかという」大会に出ているということである。
カンナの刃を何時間も砥いでいるほど研究熱心で、砥ぎ水もミネラル水を使うそうな。
砥ぎ上がりはマイクロスコープで確認という手の入れようだそうだ。
今日本中の職人が少なくなってきている。
親の仕事を嫌って後継ぎが途絶える業界を、特に地方では多く見てきている。
夕方食事が済んで次女と近くのショッピングセンターへ散歩がてら出かけた。
別にこれと言って買うものも無いのでブラブラと店内を歩いていると知り合いのKさんが小さいお子達二人を連れて来ていた。
文具コーナーで親子楽しそうに買い物中である。
横から見ていても父親と子供の会話が聞こえてくるようである。
次に書店で昨年末買いそびれた日本カメラを買ってうろうろしていると何年ぶりだろうか後輩に出会った。
中学校のブラスバンド部で1年下だったO君。
卒業してから40年あまり、何だかんだで付き合いがあったのだが最近10年ほどは会っていなかった。
大学を卒業してしばらく自由にしていた彼は結局家業を継ぐことになって今は立派にやっている。
お互いずいぶん親父姿になったものだが話をしているうちに久しぶりに歳など忘れてしまった。
良い出会いがあるとその日一日とても気持ちがいいものである。
日ごろの憂さや、やる気の無さを帳消しにしてくれる気がしてくる。
さぁ、明日も元気で仕事に○△□にやる気が出てきた。
でも、今日は寒かったなぁ。
腰も痛いし疲れたし、早く風呂に入って寝ることにしよう。
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初 詣
 我が家の初詣は讃岐琴平の金刀比羅宮に決めている。
正月は全国からたくさんの参拝客が車で訪れ、駐車場の確保がなかなか出来ないのはわかっていたので何時もの年は電車を利用いたのだが今年は、昨年暮れ新調した自動車のお払いも兼ねて車で出かけることにした。
案の定たくさんの車が駐車場探しで右往左往している。
琴平小学校の校庭が臨時駐車場になっているのを知っていたのでそちらに行くと、「満車15分待ち」と看板が出ていた。
PTAが自主運営しているので案内板持ちや交通整理に父兄が総出である。
「まぁ15分くらいしょうがないなぁ」
と数台の車の後ろで順番に並んで待つことにした。
やがて空きができたのか案内があって料金所に来ると、「駐車料金700円」とある。
結構取るなぁと思ったが時間制限なしということで納得して車のウインドウを開けると、若いお母さんが「大変お待たせしました」といってニコッと笑う。
「いやいや、ご苦労さんです」と心とは裏腹。
1000円札を出すと小さなポリ袋に入れた300円のお釣りを用意していて「駐車場でのご注意」の紙と一緒に手早く渡してくれる。
そして「4番の看板のコースが空きましたのでそちらへどうぞ」と手で案内してくれた。
いゃー、若いっていうのはいいですねぇ。
これが年寄りのババアだったら、「こいつ上手いこと商売しゃがって」と思ってしまうのですが。
大晦日に降った雪が参道脇に残って続いている。
年の暮れに雪が降るのは何年ぶりだろうか。
家では娘達が年甲斐も無く雪だるまを作ってはしゃいでいた。
今日の金刀比羅さん名物石段にも雪解けのあとがあって寒そうである。
785段をあがると流石にその寒さも忘れて、体が温まってきた頃本殿に着いた。
今年は長女の厄払いのご祈祷をお願いする。
手続きを済ませ広い拝殿に案内されると正月なのでたくさんの人と一緒にご祈祷を受ける。
神殿に向かって正座をするのだが板の間に畳表だけなので足が痛い。
しびれが来る前に痛さを我慢しなければ。
こんなにたくさんの人と一緒だから神官さんもサーと祝詞わあげて終わりだろう、辛抱辛抱。
ところがなかなか終らない。
よく耳をすませばそれぞれの住所、名前、祈祷事を逐次神様にお願いしている。
顔を上げて周りを見渡せば少なくとも50人ほどいるではないか。
金刀比羅さんは律儀だからなぁ。
足は痛いし今度はシビレも来たし、ここで退場も出来ないし。
横の妻に神前に並んでいる鯛や昆布などお供えのことなどひそひそ声で話し掛け気を紛らわす。
もう限界かと思う頃祝詞もおわり神官さんが金の御幣を持って出てきた。
よく神社でお払いをする時白いはたきのような御幣を振り回すのが一般的だと思うのだが、ここ金刀比羅宮では大きい金の御幣を拝礼している一人一人の頭の上に丁寧に置いてゆくのである。
頭を下げて待っていると神官が前に立ち御幣を頭に置くと、その重みがずっしりしていて「キクー」という感じなのです。
ご祈祷もすんで出口で白いかわらけでお神酒を頂き拝殿から休憩室に帰ってくると本当に清々しい気分である。
これで今年のはじめの行事も終わり家族が1年健康で暮らせるように思うのである。
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餅つきの日
 12月30日。
2004年もあと1日となってしまった。
今年は例年にない災害の多い年で、四国でも台風の被害が甚大であった。
高速道路に土砂崩れがあって何日も四国の動脈が止まってしまったり、これまで温暖な気候の香川でも河川の氾濫が頻繁にあり自然の脅威をこれほど感じた事は無かった。
我が家でも車庫の波板が飛んでしまったり、納戸の雨漏りがあったりでそれ程でもないが少々の被害がでた。
11月には中越地方に地震災害が発生、被災者の大変なご苦労をテレビなどで見るたび気の毒な思いであった。
被災地に近い長野に住む長兄に見舞いの電話をした折に揺れの激しかったことを聞き地球自然が異常に変わってきている気がしてならない。
つい二三日前にはインドネシア海域の巨大地震の津波災害が発生した。
本当に嫌なことばかりが続いてしまって気が滅入ってしまうのである。
年末休みの次女が30日の餅つきを楽しみにしていた。
今年は奮発して新しい餅つき機を買った。
一升タイプの全自動餅つき機である。
前夜冷たい水で丁寧に洗って水に浸けていたもち米をざるに移して水を切り餅つき機にセットする。
全自動のスイッチをオンする。
説明書だと蒸したあと搗くまでを餅つき機が全部してくれるはずで。
搗きあがるとみんなで丸めるのだけある。
丁度この時刻テレビで宮内庁からの発表が放送されていた。
紀宮さんと黒田さんの正式婚約発表である。
宮内庁長官のコメントを聞きながら暗く辛かったこの年の最後に朗報を聞くことが出来たように思うのである。
お二人の小さい頃のテレビ映像をみたりお友達お話を聞いているうちに餅つき機のブザーが鳴った。
今年の餅つきは縁起が良い餅つきになった。
丸める手つきも何となくリズム良い。
一升で小さなお鏡2つとあんこ餅20個白餅10個ほどが出来上がった。
玄関に注連飾りを飾ったり部屋中掃除も終った。
明日は先祖の墓参りに行ってそれから妻はお節つくりの大仕事がある。
亭主は一寸つまみ食いでお酒も早めに飲んで正月気分になるか。
来年はきっと良い年になると思うのである。
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食事会
 11月は結婚記念日、そして妻と私の誕生日がひと月の中に続いている。
毎年娘達がどこか食事に招待してくれて祝ってくれるのです。
今年は最近新しく出来たサンポート高松の四国一高いシンボルタワー29階展望レストラン。
中華の鉄人陳健一シェフの経営する洒落た店に次女が予約をしてくれたそうだ。
12時の予約で11時30分くらいに長女運転の車でサンポートの地下駐車場に着いたのだが、入り口でガードマンが立っていて「満車です」と言う。
日曜日は新しいサンポートになっていろいろなイベントがあるらしく何処も車ばかりでパーキングをあちらこちら探してみたが駄目のようである。
予約時間が来ているのに車を駐られないのでは仕方が無い。
朝食をこの時のために少なめにしてきたので腹が減ってきた。
ぐるぐる廻っているうち街のコインパーキングが開いていたので何とか滑り込んだ。
あとは一目散に陳健一へ行くのみ。
横断歩道なんかクソくらえで車道を失礼して何とかエレベーター前までたどり着いた。
エレベーターに乗ったらさっきまでと打って変わって紳士を振舞う。
人気の店なのか順番待ちの客がたくさんソファーに腰掛けて待っている。
受付で「予約してありました依田ですが。」と次女が言うと予約名簿を確認して「どうぞこちらへ」と赤と黒の中国服のウエイトレスが席まで案内してくれた。
途中待っている客の前を通る時視線を感じたのだが「こちらは予約、予約ですよ」と胸を張る。「別にむねを張るほどのことでも無いか」
白いテーブルクロスが掛かった丸いテーブルに着くとガラス越しに瀬戸内海が展望ができた。
いい眺めで食事、高いだろうなぁ。「貧乏性丸出し」
やがて食事が運ばれてきた。
子供達が選んでくれたメニューである。
来たものをどんどんと口に運んでゆく。「美味いな」
こんなところではゆっくり食べなきゃと気を取り直して楽しんで食べると益々美味い。
食事も大方進んだ頃、娘達が紙袋から「はい親父さんの分」とプレゼントを渡してくれた。一つはワイン。
ワインですぞ。
ドイツの白ワインマドンナである。
「これ好きなんや、ありがとう」
もう一つは毛糸の帽子にお揃いの手袋。
冬の寒い日に外の仕事で禿げ頭風引いたらいかんからなぁ。
妻にはホッカイロが取り付けられるピンクの肌着。
まだまだピンクは着られるね。
今年も食事会楽しかった。
娘達もずいぶんしっかりしてきたと心から安心している。
これでまた来年まで元気でバリバリ仕事ができるというものですね。
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自家用車
 1500セダン。
10年来の我が家の足である。
子供が小さい時には一家4人でよく遠くまでドライブに出かけたものだった。
そのうち子供も大きくなって、それぞれに都合が出来てなかなか親と一緒に出かけることがすくなくなった。
高校を出る頃に免許を取り、大学を出て社会人になる頃には自分の車で行動するようになった。
大きな車体に一人で乗るか、たまの日曜日妻と墓参りに行くくらいでその大きさが無駄な気がしていた。
日曜日遠出をして祭りの撮影に出かけようと車に乗り込んだ。
開いていた窓を閉めようとしたとき、ボタンを押しても何か変な音がするばかりで閉まらないのである。
何度も開閉してみたが「う〜ん、う〜ん」とモーターの音ばかりである。
高速道路を走るので窓を開けたままではどうかと思うし、駐車した時無用心である。
仕方なく仕事で使う軽の箱バンに乗り換えて出かけた。
何とか撮影から帰ってきて早速何時ものモータース屋さんに電話を入れようとして思い出した。
そう言えば土、日曜日は売り出しの案内がきていたなぁ。
「この際買い換えるか」と以前から目星を付けていた車のカタログを出してきて妻と相談。
小さいのが良いと言っていた妻の要望と1000CC位のがいいなぁと思っていたダイハツミラジーノ1000X。
その夜モータース屋さんに来てもらって金額などの話をして祝日明けの日に本契約の段取りだった。
夕方にモータース屋さんとダイハツの営業が揃って訪問してきた。
済まなさそうに話を切り出した。
「実はもう生産が完了してしまって全国探しまわったのですが」。
「無い
えぇ!無いの
「ミラジーノの軽ならあるんやけど。」
「軽ならほかのメーカーもあるし、1000CCなら今パッソも出ているし。」
「一晩考えるわ!気の毒やけどダイハツさんにならんかもよ」と。
翌日また二人が夕方やってきた。
「一応軽のミラジーノ確保してきまして、でパッソならうちもブーン作ってますので。」
夕べ妻と相談したのは。
小さいのが妻の希望で「遠出もせんのにもう軽でもええん違う。」
「それに折角来てくれてるし顔立ててあげたら。」
ええこと言いいますねぇ。
それでもって軽のミラジーノに決定したのでした。
お隣徳島のネット仲間ぴひょろひゃらりさんの掲示板でそのことを書き込みしたら。
ぴひょろひゃらりさんが
「男前と経済観念のある人は軽に乗る」という徳島のことわざを進呈しておきます。」
と言ってくれました。
「ほぉ。なるほど。」と妙に納得している禿親父なのです。
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レントゲン撮影
 レントゲン撮影といっても何処かが悪いというのではなくて、市の胸部検診撮影のことである。
毎年今ごろになると地区の保健委員さんが検診の用紙を持ってくる。
忙しいのと面倒なのとで、いままで何回もパスしてきた。
そのたび保健委員さんが再度きて「まだ受けていないけど」と催促された。
あちらも役目があるので仕方ないのだが。
で、用紙の欄の「勤務先で受けた」ところに○をつけて済ましたようにして今まではやり過ごしてきた。
今年は何故か行ってみようかなぁという気がして妻とともに9時30分からの市民会館での検診に出かけたのである。
市民会館のロビーにはもう長蛇の列、それも年寄りばかりである。
待つのが嫌で、これだから来たくはなかったのに。
自分も、もう数年で退職年齢だから仲間入り確実なのだがなぁ。
受け付けに受診票を提出しょうとすると、前の70歳くらいの夫婦が検診票に何も記入していないので市の係りがいろいろと項目を聞いて書いてゆくのでまたここで時間がかかる。
事前に家で書いてくればいいのに。
年をとると何を書けばいいのか解らないか、要らぬ事を書いてはいかんから係りに聞けと思うのだろうか。
これだから年寄りにはなりたくないのだ。
レントゲン撮影にはボタンの付いた服は駄目なのでスエットシャツを着てきた。
前の人は脱いだり着たりと忙しくしている。
「だからボタンは駄目だと言ってるのに」と口の中でもごもごと言いながら自分の番が近づいたとき、ヒヨッと胸元を見ると胸ポケットがあるではないか。
上から覗いて見ると何か黒いものが見える。
小石かゴミか何かが入っているようだ。
あれぇ、このままでは写ってしまう。
急いで手を突っ込み取り出そうとするがなかなか出て来ない。
そうこうする内「次ぎの方」と促される。
もう脱いだほうがと機械の前でバタバタしていると、「あぁ!その服は脱がなくてもいいですよ」と係りの人。
「いぇ、ポケットの中に---その---(^^ゞ」と片肌状態である。
「大きく息を吸ってそのまま。」
「ッ----------------------。」
何とか撮影がすんで検診車から降りた時はもうすっかり年寄りの心境であった
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今日はごみの日
 地区のごみの日は1週間に2日、火曜日と金曜日。
ごみ出しは我が家では私の仕事である。
決められたごみ集積場までは二三百メートルの距離がある。
ずうっと前は自転車でサァーっと飛ばして5分もあれば終っていた。
でもこの二三年は、わざわざ歩いて行く事にしている。
自動車での移動が多いので歩くことが常日頃から不足しているのはわかっている。
夜の散歩も心がけてやってはいたのだが、何時の間にか日課から無くなってしまった。
ということでごみの日くらい歩いて運動したらという話である。
今日はごみの日。
夕べからの雨が残っていてちょっと億劫である。
でも見てみたらごみの袋の中が一杯であった。
しゃーないなぁ。
こうもり傘をさしてとぼとぼと。
季節がもう秋になって雨だと少し肌寒いくらい。
でも歩き出したら暖かくなってきた。
ぴちゃぴちゃと足音が早朝なのか大きく聞こえる。
雨が多く降ったので狭い用水路の水かさが増えて水が勢いよく流れている。
コンクリートの段差があるところでは滝のようになっている。
ちょっと窪みになったところでボコン、コポンと面白い音がする。
流れてきた物が何かに引っかかって沈んだり浮いたりしている音のようだ。
まわりの田圃の稲がこの雨で、実ってきた穂の重みで倒れかかっている。
その畦道に植えてあるサトイモの葉は雨で青々として勢いがある。
足元からアマガエルが飛び出してきた。
目の前の水溜りの中でのどをぐるぐる回している。
向うの方の雨に濡れたアスフアルトの上を小さなものが動いている。
そばまで行って見るとカタツムリが白くなるほど伸びながら移動しているところだった。
誰かに踏まれないようにな。
ポストの朝刊を取り家の中に入る。
手を洗って食卓のイスに座ると何時ものように朝食の準備が出来ている。
ほんのり湯気の出ている紅茶にトースト、果物にチーズにetc。
新聞に目を通しながら紅茶を一口飲んでフーと息を吐く。
スーパーの広告を見ている妻と差し向かいで静かな朝食。
「昨日の巨人最終戦、開始直後1500人だって。」
「今朝のテレビニュースでみてたら観客席で運動会が出来そうだったわ。」
「そぅ。---------。」
「えぇ。---------。」
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ネット仲間の写真展
 10月に入ってペンタックスフアミリーから秋号が届いた。
私も長年愛用しているペンタックスカメラを愛用する人たちの全国組織の会報である。
会からの情報や会員の作品発表があって楽しみにしているものである。
プロ作家の招待作品やベテラン会員の秀作そして海外著名作家の作品紹介など勉強になるものばかりである。
楽しみながらページをめくってゆくと見覚えのある作品が目に入ってきた。
「ミャンマーの子供達」
ネット仲間の京はじめさんの作品である。
ホームページをお互いにリンクしていただいている大先輩。
海外とくにミャンマーに惚れ込んで度々撮影に出かけられたくさんの素晴らしい作品を発表されている。
これらの作品は富士フォトギャラリー大阪で写真展を開かれた時の作品の中から4点選ばれたものだ。
7月の暑い日のことであった。
ご案内の招待状をいただき四国香川から新幹線で大阪まで出かけた。
マツプフアンの地図をプリントアウトして出かけたのだが、田舎ものが都会でうろうろしてしまい地下鉄を出て方角がまったく解らなくなってしまった。
途中道案内を請いながらやっと会場までたどり着いたときにはホッとした。
会場入り口で「京さんご案内ありがとうございます。依田です。」と言うと。
「遠いところ来ていただいて」とニコニコ顔でお互いに挨拶。
ネットでのお付き合いは続いていたのだが実際にお目にかかるのは初めてであった。
「さぁ見てみて」とほかにも来場者が居られたのにつきっきりでお相手をしていただいた。
「この作品は?」。
「これは斯く斯く云々---」。
「子供達の笑顔が堪らなくいい、日本の昔はこんな子供達がたくさんいたのに」と京さんの言葉。
肩を叩いたり大声で笑ったりとまるで何年もお付き合いしているようであった。
ペンタックスファミリーがご縁でネットで繋がり、こうして実際にお会いしてもとても初めてお会いしたとは思えなかった。
帰り際しっかりと握手した温もりは何ともいえない友情を感じた。
そしてあの日が立派な作品たちの余韻と共に輝いていたように思うのであった。 
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妻の手料理
 今年の夏は暑かった。
毎日30度を超える真夏日が記録的だとニュースが伝えていたので感じだけてはなかったようだ。
暑い中屋外での仕事が多いので夏バテになってはいけないと思い、食欲が無い時期だが進んで食事は摂るように心がけた。
特に昼食は愛妻弁当のお陰でしっかり摂ることが出来夏バテしないで過ごすことが出来たように思う。
毎朝早起きして妻の作る「愛妻弁当」を車に積んで仕事に出かける。
忙しくて事務所に帰られないときなどは現場で弁当を食べる。
電気工事関係の仕事で現場の職人さんと一緒にご相伴である。
それぞれ愛妻弁当をランチジャーやホットキーパーなどからだして待ちかねたように頬張る。
私のは京風弁当箱で下がおかず、上がご飯の二階建て。
上でキュッと結んだ紺色の弁当包みを解いて蓋を開ける楽しみは格別である。
お腹が一杯になったらそこらへんでゴロッと横になって昼ね、これもまた格別である。
秋が来て日が暮れるのが早くなると、夕食の早い我が家でも電灯のあかりの下すっかりディナー気分になってくる。

食欲も旺盛になってきたので今日は美味しいものが食べたいと思っていたら、今日のメニューは「自家製コーンスープ」「子牛のなんたら風ステーキ」「ポテトサラダにトマトにきゅうりのスライス」「ごぼうの牛肉巻き」「特上の白ワイン」である。
全部妻の手料理である。
ホテルで食べると5000円は取られる。
毎日こうとはいかないが、ワインにほろ酔い気分で至極幸福である。
夜何時ものように余韻を感じながらネットで楽しんでいたら、東京のZpentaさんから乾杯のメッセージをいただいた。
あちらも赤ワインでほろ酔いだそうで。
歳をとったら上手い料理と酒があればあとは何もいらないなぁ。「少しは女も !ですか?」 
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墓参り
 毎月第一日曜日が墓参りの日である。
妻の両親が眠る墓のあるお寺は隣の丸亀市にある。
朝食が終るとお参りセットとお花を持って何時ものようにラフな格好で車をゆっくりゴロゴロと走らせる。
常日頃お互い必要な会話しか話さなくなっているのに、この日は何故か会話が弾むのである。
道端のコスモスが咲いているとか、金倉川の水が綺麗だなぁとか、他愛の無い会話であるが。
菩提寺に着くとそれ程広くない石畳の両側には季節の彩りがあって、黄色い花を付けた木や、小さな芽をつけ始めた山茶花、足元には緑の苔の絨毯が奥まで続いている。
大門をくぐると本堂までの道は若い副住職が毎朝丹念に掃除をしていて、ほうきの跡が綺麗に残って通るだけで清々しい気持ちになる。
お墓に参るまえにまず本堂に向かいご本尊様に手を合わせる。
賽銭箱に気持ちだけ投げ入れ一寸大きめの「50センチ径」オリンを鳴らす。
よく鳴るオリンで、スリコギくらいのリン叩きで少し触れるくらいでゴ〜〜ンと小さな音ながらずうっと響いてくれる。
二回目はチョツト大き目に叩くと、まえの音と共鳴するようにゴワ〜ゥン〜ゴワ〜ゥンと何時までも鳴り続け、目を閉じながら手を合わせて拝んでいるととても心が休まるのである。
お墓の周りを掃き清め、花を供え、ろうそく線香に火をつけ両親の戒名を唱えて「また来月ね」と言い妻と肩を並べて石畳を帰る頃には太陽が頭の上から今日もご苦労さんと声を掛けてくれているようであった。 
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みかんのプレゼント
仕事から帰ってみると玄関に宅配便が届いていた。
ダンボール箱にはみかんの文字がある。
早速テープをはがして空けてみると綺麗な黄色い色をして美味しそうに並んだみかんが一杯である。
送り主は前からインターネットでお付き合いいただいているお隣徳島のぴひょろひゃらりさん。
つい最近あちらのホームページ8000人目に繋がった記念「カウンタープレゼント」のご褒美である。
掲示板では双方言いたい放題の書き込みや近況のご報告、新ページ更新のお知らせやらでお馴染みであった。
お礼の書き込みでもと思ったのだがせっかくのご好意なので電話をしてみることにした。
るるるるるるるーーーー。
呼び出し音がして。
「はい。ぴひょろひゃらりでございます。」とハキハキとした明るい声が聞こえてきた。
「ーーーーーあのぅ、香川の依田でございます。」
「はい。」
しばらく間があって。
ぴひょろさん「\○/□\△/×。」
私「----------。」
ぴひょろさん「\○/△\◇/×\□。」
私「↑↓←/→αΩβ。」と話が。
年甲斐も無くあがってしまって何を話したのかよく覚えていないが、夏には阿波踊りに行きたいことを言ったような。
でもうれしかったですねぇ。本当は見ず知らずなのに、美しき若い女性とこうしてお電話でお話が出来るなんて。
それに大好きなみかんをこうやって毎日食べられるなんて。
インターネットの世界に足を踏みいれて3年あまり、このように遠くの方々と交流が持てるようになり益々深みにはまって行きそうです。 
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お正月
零時をすぎ新しい年になった。
早速パソコンに向かい何時もお世話になっているネット仲間の掲示板やメールに新年の挨拶を送る作業に入る。
接続環境が今だダイアルアップのアナログのため、年の変わらないうちにそれぞれのアドレス宛にはオフラインで時間をかけてメッセージを準備済みである。
モデムは何時もの接続音を発して接続が完了したようである。
順次用意した新年の挨拶をそれぞれの掲示板書き込んで年の初めの作業は終った。
今の時刻には次女は高松の病院で夜勤の真っ最中である。
夜勤あけの9時頃に車で迎えに行く約束をしてあったのでそれまで朝生テレビをうとうとしながら見る事にした。
昨年、栗林トンネル付近にクレーン会社が新年を祝う大きな幕を、高く空までいっぱい延ばしたクレーンの腕から垂らした目出度い光景を覚えていたので、今年は是非写真に撮りたいとカメラに24ミリをつけて迎えに行くとき持参した。
約束の時間より少し早く出て目的地に付くと立派な垂れ幕に干支の申と今年のメッセージが空中高くかかれている。

昼前に次女と共に家に帰る。
年末まで仕事だった長女もゆっくり休めたのか元気に起きてきて一家4人今年も目出度いお正月になった。
早速妻の料理の雑煮に御節で舌鼓。
丁度届いた年賀状に目を通しながらご無沙汰の旧友や知人に想いを馳せる。
2日は恒例の琴刀比羅さんに初参り。
少しは景気が上向いたのか今年は参拝客が多いようで石段には人、人、人である。
785段の石段を上がると流石に脚にくるがそれが又ご利益になると思えば良いのである。
本殿で参拝のあと今年の干支申の置物を授かる。
娘達はおみくじを引きお互いに見せ合ってわいわいと言っている。
お天気も良くて穏やかでとてもすごし易いお正月の三賀日である。
これで景気が上向いて世の中まーるくなれば良いのに。
特別これと言った事も無く家族で迎えるお正月、これが一番幸せです。

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時 代
♪そんな時代もあったねと
      いつか話せる日が来るわ
           あんな時代もあったねと
                きっと笑って話せるわ
                      だから今日はくよくよしないで
                             今日の風に吹かれましょう
                             まわるまわるよ時代は回る
                             喜び悲しみくり返し---------------♪
これはご存知中島みゆきの歌である。
長女が親元を離れて隣の徳島で一人暮らしをしていた今から10年ほど前のことである。
大学進学の頃、小さい時から習わせていたピアノを生かして音楽の道に進めばと親の方から薦めた。
卒業して音楽の先生か何かになって優雅に暮らしたらと話したものだった。
喜んで入った音楽の道も厳しく険しかったようで、その間に世の中変わってしまって、卒業まじかにはいろいろあって本人も親も辛い思いをしたものである。
ひとりアパートで悶々としている彼女に会いに行く車のラジオで聴いた歌がこの中島みゆきの「時代」であった。
何か今の自分たちのことを勇気付けてくれる歌を聴いているうち、雨も降っていないのにフロントガラスが滲んで見えるのでした。
本当に心に沁みる歌でした。
そんな時代もあったねと親も子も成長をしていったのでした。
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夏の演奏会
恩師の主催する夏の演奏会が開かれた。
病のため36年続いた定期演奏会が途切れることになったときはこのまま終わってしまうのかと思うくらいだったので、2年ぶりの公演には格別の感慨がある。
ホールには久しぶりの演奏を楽しみに観客席はほぼ満席である。
静かにシートにすわり目を閉じてオーケストラの響きを聴いていると遥か昔を思い出した。
中学校に入学したとき担任だったのは音楽の先生「T」先生であった
放課後職員室に数名の生徒といっしょに呼ばれ、ブラスバンド部に入るよう進められた。
少し興味があったので入部してみるとそのころは部員は男子ばかりで厳つい先輩に指導を受けることとなった。
試しに数種類の楽器を吹かされるのだがなかなか思うように鳴らない。
そのなかでデンデン虫のようなホルンというのは何となく上手く鳴ったので「これがいいなぁ」と思っていると、「それは空きがないのでおまえはあれをやってみろ」とラッパ「トランペット」を与えられた。
吹いてみると息が苦しいほど吹き込まなくてはならないし、おまけにスーとかプスーとしか鳴らない。
気を取り直してもう一度力一杯吹いてみるとブールルルルルプァーーーーー。
そんなことをひと月もやっているうちに何とかものになってきて行進曲の1曲位は吹けるようになった。
大したものである。「笑」
性にあったのか毎日親が心配するほど放課後遅くまでやっていたお陰で1年生で1番パートを任せられるまでになった。

楽器は学校の少ない予算で購入するので中古か最低の金額の物ばかりだったので演奏会がある時などは練習よりも真鍮磨きで楽器をピカピカに磨くのに忙しかった。
ある日家に先生がきて両親に何か話していた。
母親があとで先生が「上手になって一生懸命やっているのだがなにせ楽器がボロだから家でマシなのを買ってやっては」と言ってきたが家ではそんな余裕がないのにと父親に話していた。5人兄弟の末っ子の僕に無理な話と自分でも納得していた。
ひと月くらいして、学校から家に帰ると父親が呼んでいる。
部屋に行くと新しいトランペットが置いてあって一寸吹いてみろという。
恐る恐る手にして吹いた時の緊張と感激はいまだに忘れることはない。
母親が7000円もしたのでケースまでは買えないから明日お母さんが縫ってあげるからと台所に立った。
当時高卒の初任給が5000円の頃であったので父親一人の働きで家族7人の生活からは本当に辛かったと思う。
新しい楽器をもって揚々とと思うのだが、母親の作ってくれたケースは黒いレザーを細長い楽器に合わせて袋状に縫っただけのダサい物であった。
嫌々それを抱えて学校に着くと教室に居られた「T」先生がちょっとそれを貸してごらんといって職員室へ持って行かれた。
2時間目の授業にきた国語の女の先生が「あなたのお母さんはとてもすばらしいのね。息子のために立派なケースを縫ってやれるなんて、T先生から聞きましたよ」と僕の肩に手を置いて話し掛けられた。
その後社会人となってからも音楽への道は続いて先生の主催する室内合奏団に所属し30年あまり活躍できた。
あの頃のことがこころの糧となったように思うのである。
室内合奏団を退団して10年あまり、いま一聴衆となって静かに聴くオーケストラの響きには格別の感慨があるのです。
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写真展「琴南点描」 2003年6月
私の尊敬するリアリズム写真作家のI氏が写真展を開くというのを聞いたのはずいぶん前のような気がする。
讃岐の片田舎あたりを休日には頻繁に出かけて撮影されているというのをそれとなく聞かされていたのだがある日、写真展のテーマは「琴南点描」にするつもりだとメールで知らせてくれた。
琴南は徳島県境阿讃山脈に近く、香川県の南西部の少し不便だが自然豊かな農村である。
6月の中ごろ写真展の案内状をいただいた。
はがきに刷り込まれた写真はコスモスの咲く農道をオートバイの郵便屋さんが行く。
むこうの山裾には古い田舎屋の風情ある姿が見える。
やはり期待どおりである。
美術館のドアを開けて中に入るとそれほど広くない白い空間が、なんとも言えない広がりをもって迎えてくれた。
緑いっぱいの農村にたなびく白い煙。
農作業の合間の老婦人が手ぬぐいを被り、深いしわの中から心を許して見つめる視線。
村を流れる川で無邪気に戯れる子供達。
青い空、白い雲、透き通る水、軒下で昼寝の猫、元気に登校して行く小学生の姿、村人の凛とした眼差し。
それらはつい最近まで日本中の田舎で見ることが出来た風景でもある。
作者が心の目で撮影した作品は見るものに静かに語りかけてくる。
それは懐かしく失ってほしくない風景だからである。 
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大工の棟梁 
工務店の仕事先でいつも一緒になる大工の棟梁、お年はわからないがもう70歳近くになると思う。
ずいぶん長い付き合いで若いころから何軒も日本建築を手がけてこられて工務店の信頼も厚い。
バブルの崩壊したころからの不景気で建築関係は影響が大きいようで、新築工事は以前ほどは無くなっている。
そんな中良いお客さんが見つかり棟梁にも腕の見せ所が出来たようである。
しかし、最近は洋風のデザインの建築が多く工事方法でも以前はノミや金槌の音が響いたものだが今では電動工具や空気を使ったエアー工具に変わってきている。
棟梁は少しは機械の世話になることがあるがそれでも今までのようなコツコツとした仕事が信条で側で見ていても手間隙かけているのがわかるのである。
仕事の合間にお孫さんの話が出ることがある。
先日、小学校の生活の時間に父兄が子供達と一緒に竹とんぼを作ったときの話。
刃物をあまり使ったことが無く悪戦している父兄たちを見かねた先生が「○○君のおじいちゃんは大工さんなのでわからない人は見てもらいなさい。」と言ったら「皆んなが次々に持ってきて忙しかったわ。」と嬉しそうに父親の代わりに参加したという棟梁は話してくれた。
日曜日にサッカーのクラブに入っているお孫さんをグランドまで軽トラで連れて行き練習を観戦していた様子を話してくれた。
何時も帰りに自動販売機の前で「じいちゃんジュースと言ってねだるのだが、それが楽しみで暑い中練習しているのだろうなぁ」と。目を細くしていた。
先日仕事先に真新しい軽トラックが止めてあって大工道具が何時ものように積んである。
棟梁が、まえから調子が悪いと思ったら「エンジンがもうだめだ」と車屋が言う。
「展示場にすぐに乗れる新しいのがあるのでどうか」というので、「いま金ないぞ」と言ったら「いつでも良いから」と夕べ持ってきたそうだ。
そんな信頼関係のある取引が出来るのも棟梁の人柄かも知れない。
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セッター犬ポニー
次兄の唯一の趣味が狩猟である。
11月15日が狩猟解禁日でこの日の来るのを毎年楽しみにしている。
山野での狩猟には猟犬が必要で猟の出来不出来は猟犬次第である。
良い猟犬を探していたところハンター仲間から良いセッターの子犬が生まれたからと譲り受けたのが17年前のことである。
名前をポニーとつけられた幼犬は他の愛玩犬と同じ様であったが、1歳を過ぎる頃になると本能が出てくるようになった。
何か動くものを見つけると尻尾をぴんと立ててじっと動かずにいるようになったのである。
次兄が傍に来ると何かを知らせるような動作をする。
成犬となって立派に猟犬として役立つようになってきたようだ。
その年以来休みになると次兄は猟に連れてでかけるようになった。
山の池での鴨猟では銃で仕留めた獲物が浮いている寒い池の中に飛び込み立派に仕事をこなし、潅木が茂る奥深い山でも呼吸にあわせて獲物をポイントするなど活躍は目覚しかったと帰って嬉しそうに話してくれた。
最近ポニーも年を取ったのか犬小屋のなかでいる事が多くなった。
目も少し白くなって遠くのものが解らないらしい。
家のものが近づいて来るのを最初は吠えるのだが嗅覚はまだ衰えてないらしく傍まで来ると済まなさそうに頭を下げて擦り寄ってくる。
ずいぶんと痩せて細くなってしまった。
2月に入って顔がなんだかボーとした感じがする。
10日の月曜日の朝、ポニーは犬小屋のなかで横になったままである。
昨日は餌も食べて元気だったのだが朝から元気がないという。
「ポニー」と声をかけると少しこちらを向く位である。
昼ごろには前足をそろえてその上に頭を載せつぶらな目でこちらを見ているだけになった。
いよいよ最後かもしれない。
夕方仕事から帰ると次兄夫婦が大きいダンボール箱の上に線香とロウソクを灯していた。
それにしても動物は本当に静かに死を迎える。痛いとか苦しいとか何にも言わない。
何かを教えられたような気がする。 
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夜の散歩
我が家は善通寺市の郊外にある。
結婚したとき小さいながらこの土地に家を建てて一家を構えた。
30年あまり経って住宅が廻りに建ったとはいってもまだまだ自然がいっぱいである。
まわりの農地は田植えの時期には溜池からの水が一面に広がり、青い苗が育つ秋には黄金色となる。
そして冬の今ごろは特産のレタス畑が延々と続く。
夜の食事が済んで一時すると何時もの夜の散歩に出かける。
防寒服にナイキの帽子、手には懐中電灯といういでたちで、30分ほどあぜ道を通り高速道路下の側道を早足で歩く。
冬でも額に汗をかくほどである。
散歩をはじめてまだ3ヶ月足らずだが、きっかけは日頃の運動不足の解消に加えて自然撮影のときのために足腰を鍛えておかなければと思ったからである。
その効果は里山を駆け巡ったり、神社の階段を登り降りなど何となく楽に出来るようである。
散歩の途中あぜ道の向こうにレタス畑のビニールのトンネルが月明かりに浮かんで白く続いている。
そのずうっと向こうに賑やかな街の明かりが輝いている。
薄っすらと明るい空に中に飯野山「讃岐富士」の黒い影がいい具合あってまるで墨絵のような光景である。
約3ヶ月、少し大儀だけれど澄んだ空気を吸って自然を堪能し健康増進になる夜の散歩は病み付きになりそうである。
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笑い声
今日は正月。
昨年義母が亡くなったため喪中となって年末からこの正月は何もしないでゆっくりとした休みとなった。
元旦は朝寝をして遅めの食事を摂り、自分の部屋でパソコンに向かいながら一人静かに「内田光子」のCDを聞いていると、娘達姉妹の部屋から大きな笑い声が聞こえてきた。
どうやら正月のバラティー番組を見ていて可笑しいことがあったのだろう。
昼過ぎ一人暮らしの未年の次女が帰ってきたのである。
大晦日からの夜勤明けで3日まで休みだというので久しぶりの一家団欒である。
「おせち」は作らなかったけれど家族が楽しめる妻の手料理でわいわい言いながら食事をすると時間の経つのを忘れてしまうほどだ。
妹の看護士として仕事のことや趣味のスキューバーライセンス挑戦の話、姉の同窓会の報告に会社の人事で転勤になった上司のことなど、あれこれと話してくれるのを「うんうん」とうなずきながら聞いてやる。
二人ともずいぶんと成長して大きくなったものだ。妻も嬉そうである。
こんな二人ももう結婚してもいい歳なのだがいまの居心地が良いのかそんな話など聞こえてこない。
親ものんびりしていて何も言わないのであるが。
まぁどうなるか判らないが元気な笑い声に囲まれてみんなで迎えた年の初めでした。 
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HP2年を振返って
今年ももう僅かとなった。
開設して2年のホームページを通じて多くの方とネットでお知り合いになることができた。
掲示板への書き込みをみるのが毎日の日課になりそれが楽しみでもある。
写真を趣味にしている者共通の悩みや励ましの言葉、そして皆さんの個性ある写真に接して独り善がりに陥りやすい趣味の世界を充実したものに出来たのではないかと思う。
また、日本全国からはるばる拙いホームページにご来場いただき暖かいお声をいただいた時には、たくさんの方々がネット上でご覧になっているという自覚をもってページ作りに励んでいかなければという気持ちでいっぱいである。
それにしてもひと月に1度の更新は大変なもので、ネタ切れにならないよう撮影に精を出さなくてはと焦ってしまうのだが。
なにも決まって更新しなければならないこともないのであるが、そこでサボってしまうとずるずると先延ばしにしてしまうのでわが身に鞭打って励んでいる。
そうしてみると自分でも不思議なくらいにテーマを決めて撮影に出かけたりページの構成がスムースにゆく事が多くなったのである。
上手くゆくといっても所詮素人であるから限界はあるのだけれども。
年が明けると3年目に入る。
来年はどんなページになるのか自分でも想像できないが、きっと新しいお知り合いができることを楽しみにしている年の瀬なのです。
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文化の日
11月3日は文化の日。
全国で芸術的行事や文化の日にちなんだ催しが行なわれた。
私の職場がある町でも毎年この時期に町主催の芸術展が開催される。
写真をはじめ書道、絵画など日頃趣味として活躍している者にとって格好の発表の場である。
我が写真同好の会にも展示スペースが与えられていて、毎年30点ほどの作品が集まり好評を頂いてきた。
今年は昨年から始まった写真教室のメンバーからも成果をご披露しょうと力作が寄せられた。
展示の準備には各自が持ち寄った作品のレイアウトに気を配る。
各作品が一番良く映える位置をみんなで和気あいあいと決めてゆく。
飾りたての作品を遠くから全体を見回してみると50点余りの全紙での作品は会場で一段と光り輝いていた。
1年の成果がこのように開花しょうとは思わなかった。教室のメンバーもきっと満足であろう。
しかし、満足のなかにも多くの作品を鑑賞することでおのずと自分の作品を冷静に評価することができる良い機会である。ますます腕を磨いて良い作品作りに励んで行きたいものである
ところで一言。30年前の11月3日は我妻と結婚式を上げた記念の日でもあった。
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写真展チベット紀行
懇意にしていただいている写真家2人とその仲間2人によるチベット紀行と題した写真展の案内を頂いた。
中国西蔵自治区、雲南省、甘粛省、青海省を4人で写真を撮ることを目的に旅した成果は会場を入った時から見るものに訴えかけてくる。
チベットの風土に根ざした人々の暮らしからは4000メートル以上の高地の厳しさを自然のものとして受け入れる強さがある。
実際4人の写真家たちは高山病に悩まされ続けたと言う。
それでも平地ならなんでもない岩肌をあえぎながら登り見た光景はあくまでも青く澄み切った空と白い雪肌を見せるチベットの山々である。
そして雪解け水を満たした湖とのコントラストを見せる風景は決して拒むことなく迎えてくれているようだ。
この高地にどのようにして建設されたのかチベット寺院の壮大な建物がそびえる。
その寺院に修行に励む僧侶や高僧の威厳ある衣装。
年に1度の祭りに国中から集まり太陽の光に金色に輝く巨大な曼荼羅を囲み信仰する人々のうねり。
ロウソクの火に照らし出された若い僧侶の眼差し。
それらの作品からは悟りのようなものを感じてしまうのである。
偶然訪れたと言う村の小学校。
決して清潔とはいえないがそれでも精一杯の赤い衣服の女の子、見上げた瞳に写るキャッチライトは薄暗い教室の中で輝いている。
5月の季節だというのに片隅に置かれた粗末な蒔きストーブ。
その淡い炎に照らし出された複式学級の教室風景。
校庭に集まって記念写真におさまる子供達の恥ずかしさと嬉しさが入り混じった素顔はもう日本では見ることができない。
久しぶりにいい写真展を見ることができた。
4人の写真家にはすばらしい作品を見せていただきお礼を申し上げる。
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写真集 
知り合いの「I」さんから写真集をお借りした。
20年前のモノクロの写真集であるがよければ見てくれという事だった。
立派な7冊の写真集である。
その中で土門 拳の「筑豊のこどもたち」と南 良和「ある山村・農民」は私にとって特に印象の残るものである。
「筑豊のこどもたち」
戦後が一段落した日本で産業振興の原動力となった石炭産業。
その筑豊に暮らす人々やその家族を克明に映し出す。
その映像のなかに決して楽ではなかった毎日の生活から生きるエネルギーを感じてしまうのである
昭和22年生まれの私には他人ごとのようには思えなかった。
お昼に弁当の無い子供は絵本を広げじっと我慢をする。
紙芝居を遠慮がちに遠くから見るアメを買えないおかっぱ頭の女の子。
古びた大人の自転車を三角乗りで器用に乗りこなすがき大将。
そんな子供達の姿からは日本中が貧乏で、お下がりのつぎのあたたった衣服を着て子沢山の家族が肩を寄せ合い暮らしたころを思い出させてくれる。
「ある山村・農民」
秩父耕地にくらす農民の姿を克明に表している。
家と嫁、村と家族の関係は自然の厳しい環境のなかで考えられないほどの規律で守られてきた。
黒くひび割れて痛々しい21歳の嫁の手。
山ほどの桑の葉を背負いに乗せて運ぶ75歳の姑。
言葉で語ることが不可能なほどの世界を1枚1枚の写真は感じさせてくれる。
しかし、厳しい時代を生きてきた農民の生活も日本中の変化とともに終わろうとしている。
写真は過酷である。その時の現実をそのまま記録してしまう。10年20年先にはその生活が続いていないかもしれない。そんな事を思うと軽々しく扱ってはいけない。しっかりと今を見据えて撮影にのぞまなくてはと思うのである。

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写真展 
2っの写真展を見る機会があった。
ひとつは観音寺市で行われた矢野智雄展、そしてもうひとつは伊予三島市で行われた写真クラブ「虹」の第2回展である。
観音寺出身の矢野さんはプロの若手で大阪に写真事務所を開き今回は里帰りの個展である。
会場でお会いした印象はラフな格好で気さくな話し振りにとても身近に感じられたが、花や静物を大型カメラを使い、淡い色彩で表現した作品からはさすがにプロの気品が感じられた。
写真クラブ「虹」の写真展は20数名の会員が3点の出品である。
タイトルの「美しき日本の風景」のとおり美しい自然美が各作品から感じられた力作である。
女性会員の作品のなかに母のふるさと辺りの風景がある。
淡い紫色に染まった来島海峡の夕景の作品には子供の頃の思いがよみがえってくる。私にはとても印象深い作品であった。
写真展でいつも思うのだが、作品の良し悪しよりも会場の雰囲気に工夫をすればと思うときがある。
作品を自慢するように来場者に大きな声が会場に響き渡るように説明をする人がいる。
静かななかに雰囲気を感じつつ作品を鑑賞したいものである。
来場者が多いときなどせめて主催者が誰なのかわかるようにネームプレートなどをを着けたほうがいいのではと思う。作者の目の前でいらぬ批評をして気まずくなったりする。
大抵の会場では入り口に記帳のために白い布をかけた机がある。
主催者の数人が椅子に腰掛けて待っていてそのまえで記帳をしろと言うのである。
下手な字で恐縮してしまいますます下手になる。やはり入り口は何も無くて広々としているほうが入りやすい。
会場の中のかたすみに置いてあっても良い写真展だったら忘れないで記帳するのだが、最初に強制するのはあまり自信が無い現われかもしれないと思うのはいじわるな考えなのかなぁ。
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葬 儀 
妻の母親が死んだ。
脳内出血で3ヶ月の入院だったが90歳の高齢であったので天命である。
長女であった妻が私のところに嫁いで来る時、嫁入り仕度を一身にしていた姿や、孫が生まれた早朝の病院で嬉し涙を流す姿を思い出す。
亡くなったのが夕方だったのに遺体が家に帰った時ご近所の方々が駆けつけてくださった。
5年前、寺の総代をしていた義父の時住職のはからいで本堂でお通夜、そして葬儀をさせていただいたので今回もお願いをして本堂をお借りする事が出来た。
葬祭場と違ってエアコンなど無いが、本堂を吹き抜ける風が気持ちを和らげてくれる。
ご本尊さまの前で立派な金襴の飾りそして香炉、燭台、華入れなどに囲まれ大きな鐘の音と僧侶の読経で義母は冥土に旅立って行きました。
日ごろから信心を心がけてお寺さんに馴染んでおけば良いのであるが、忙しい現代ではそうはいかない様である。
そこで最近あちらこちらに有名な葬祭会社ができて無信心な者には何かと便利になってきた。
しかもあの世に行くのにもお金でランクがあるようで何か世知辛い。
式進行もセレモニーのようで悲しみもわいてこない。がそれが良いのかも知れないし、これが時代の移り変わりかもしれない。
合掌 
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製品モニター
メールが届いた。
所属するペンタックスファミリーから新製品のモニター依頼のメールである。
私のホームページのパラグライダーの写真をみて、新しい製品デジビノ「双眼鏡とデジカメが一体になったもの」を使って使用感やデジビノで撮影した画像を9月のファミリー機関紙に掲載したいとの事であった。
パラグライダーの写真は以前撮影したものでこの時期どうだかと返信すると、「他の何時も撮影しているものでもいいのです」と返事があった。丁寧なお誘いと品物を頂けることもあってお引き受けする事にした。
品物は2日後には届いた。ちょうど翌日7日は金比羅さんに蹴鞠撮影を予定していたのでさっそくテスト撮影。
思ったよりいい製品で簡単に使用でき写真もまあまあの出来であった。
頭の片隅にパラグライダーの事があったので昼休みの合間に様子を見に行く。見に行くと言っても片道30分で現地はみかん畑の傾斜道をのろのろと登らなければ山の滑走場に行く事が出来ない。2,3日通ったが見ることが出来なかった。台風明けの日1機のパラグライターが飛行していて撮影する事が出来た。
この調子なら土日は雨の予報なので金曜日の夕方近くには仕事明けの愛好者が沢山飛行するかもと皮算用をする。
金曜日、妻に今日は少し帰宅が遅くなると言って4時ごろ現地に出かける。ワゴン車が滑走場近くに留めてあって数人の愛好者が準備中である。これで良いのが撮れるとワクワクしていたがリーダーの人が風向きが反対なのでしばらく様子を見ているのだそうだ。風向きを見る吹流しが無常にも向きを変えてくれない。
時間がたつにつれて日も西に傾いてきた。諦めたのかパラグライダーをたたみ始めた。
プレッシャーが頭をかすめる。パラグライダーの写真などそう簡単に撮れるものではないことは前の経験からわかっている。
「あ〜ぁ」、モニター引き受けなければ良かったのに。
帰りの傾斜道を下って行くと目の前に瀬戸内の海に太陽が降りて行く景色が雄大に見える。
しばらく車を止めていると海面が金色に輝きはじめた。
急いで撮影に取り掛かると金色のキャンバスに島影や船がシュリエットとなる。時間の経つのを忘れてしまうほどであった。
蹴鞠,瀬戸大橋,花,そして金色の海の写真など10枚ほどと、原稿をメールで送信し終わった。ほっとした。顔写真も同送したが写真を撮るのは得ているが撮られるのは得ていないので適当なのが無い。今写してみたがなんともしまらない顔である。2年程前に娘が旅行の時撮ってくれたプリントが良く撮れていたのでそれをスキャナーで取り込んでみた。妻に「今の自分とどうかね」と尋ねると「あまり変わっていないね」と言う。嬉しいこと言ってくれます。
あまり変わっていないようなので編集者様お許しを。そしてもうモニターはご勘弁を。
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蹴 鞠
讃岐金比羅宮で行われる蹴鞠行事は5月,7月そして12月に行われる。
平安の昔から続く伝統行事。
今は京都とここ金比羅宮でしか見ることが出来ない貴重なものです。
今年の七夕蹴鞠は日曜日となり見学者や日曜写真家には好都合になった。
写真教室のメンバーもこの日を楽しみにしてきた。
朝9時には参加者全員スタンバイしている。
初めての者も居るのでお節介にもアドバイスや進行などについてあれこれ説明してあげる。
年配の女性数人のかたの事も気にかかる。フィルムが足らないか、オートでシャッターが切れるかなど。
蹴鞠が始まると今度は自分の事で精一杯であるが、女性たちも何とか撮影できているようである。
1週間後の例会に各自蹴鞠やその日に撮影した作品を持ち寄った。
気になっていた女性たちの作品を見て驚いてしまった。
その場に居た者でなければ感じられない迫力が作品に良く現れている。
我が作品は普通である。「う〜ん」である。
一年の成果がこのように結果に出るとは驚きである。
よく写真は感性だと言うがやはり女性は「完成」されているなぁ
小国さん,桜井さんもうお節介なアドバイスはご無用ですね。
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ファッション
梅雨が明けきらない蒸し暑いある日、とある工場に所要があって出かけた。あまり綺麗でないその工場は人手がなくて何時も誰も居ないことが度々である。
今日も係りの人が出かけていたので携帯電話で来た事を告げると10分ほどすると帰ってくるというので建物の陰で待つことにした。
小汚い工具箱に腰掛けていると、日陰でじっとしていても首筋から汗が流れる。
少し離れたところに薄汚れた自動販売機がある。
待っているあいだに飲み物でも買って飲もうかなと思っていると
4,5人の作業員が休憩のため工場から出てきた。
工場の足場建設作業の白い鳶服を着た若い人たちである。
自動販売機を囲むようにしてリーダー格の人が小銭を渡している。
後ろ姿のそれぞれ腰には安全ロープを着け、数種類の工具をぶら下げている。白いヘルメットからは後ろにくくられた金色の髪が鮮やかに目に入る。
耳元には金のリングのピアス。腕には金の鎖のブレスレット。
その金のブレスレットをした指先には今火をつけたばかりのタバコが粋に挟まれている。
飲み物を飲む首筋からビアスのリングあたりにうっすらと汗がにじんでいる。
しばらく、その独特のファッションに見とれてしまった。
彼らしか出来ない世界である。
あまりジロジロ見ていると「おっさん何みてんねん」と言われそうである。
暑さも忘れて遠い空を見ながらボーとしていると彼らは仕事に戻って行った。。
カメラを持っていたなら正面にまわって数ショット撮りたかったのになぁ。
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田植の頃
讃岐香川県は雨が少なく農業用溜池がいたる所にある。
中でも讃岐平野の中西部に位置する西讃地区の日本一の溜池「満濃池」はよく知られている。
13日は「満濃池のゆる抜きの行事」があってその日からいよいよ田植えのシーズンの幕開けとなる。
ゆる抜き」は池の底にある栓「ゆる」を抜いての農業用水として西讃地区を潤すための大切な行事でもある。
近所の小さな田ではトラクターできれいに整地され、四角い田に対角線に溝が作られている。
大きな用水から細い用水に水が行くように木の板の堰を決められた所に入れてゆく。
堰によって水路が変わりそれぞれの田に水が入る。
カラカラに乾いて白かった土が溝の一方から黒く変わってゆく。
次第に放射状に変化して一面に広がって行く。
チョロチョロと水音をたてて、朝からかけて満濃池からの恵みの水は田をいっぱいにして夕焼け空を映し出す。
やがて蛙の忙しなく声が明日の田植えを待つように響きわたる。
兼業農家の多いこのあたりであるが、稲作の収益だけでは農業が成り立たなくなってしまった。
その上核家族化が進み、残った親たちも高齢化のために休耕するところも多くなった。
その一方、自分たちや息子達が1年食べる米だけでもと、年老いた体で「しゅろ掻き」に精をだす農家もある。
青一面の水田が続く風景は美しい。
昔からの日本の風景でもある。
そんな美しい風景は少しずつ失われようとしている。
この事は農業だけのことではないように思うのである。
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その道
その道」と言っても道路の道のことではない。
長い間ひとつの事に打ち込んで一筋に」の道のことである。
NHKのスペシャル番組で「桂米朝.最後の大舞台」が放送された。
これまでにも米朝の落語は好きだったので、テープやビデオに録って何回も聞いたが飽きがこない。話の筋が分かっているのに不思議である。
番組を見ていて納得がいったような気がした。
高座に上がったとき、客の反応をはかりながら話しを進めてゆく。しかも客に媚びることなく「自分の世界」を創り客をその中に引き込んでゆくのである。
写真のことについても同じことが言える。
多くの写真を趣味としている者は一度はコンテストなどに挑戦した事があると思う。
そして入選したり賞金を獲得して一喜一憂するのであるが、それはそれでいいのだがどうしてもコンテストに媚びるようになる。
大きな公募展などの入賞作品展覧会に出かけてみても、金賞も入選作もあまり違いがないように思う。
もちろん金賞だけのことはあるが感激はあまりない。
鑑賞者のなかでも別の作品のほうが金賞よりいいのではないかと言った声が聞こえたりもする。
人は自分の考えていることや世の中を見る目、そして美しい物に対するあこがれを持っていると思う。
趣味の写真であっても作品の中に「自分の世界」を創り出すことが出来なければと思っている。
それには「その道」に打ち込む事であると思うのであるが。
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柏 餅
食卓の上にうまげな「柏餅」が大皿に盛られている。
おいしそうだ。
妻の手作り」の「柏餅」である。
少し餡子が見えるように包んであって見た目にも甘そうである。
ふっくらとした形で「もち米」を使っているので歯ごたえがあってなんとも言えない。
今日は「子供の日」なので作ったとの事であるが、もう子供も成人して何年にもなる。
妻は料理に熱心で高級料理ではないが「家庭の味」を大事に結婚以来、我が家の食卓を盛り上げてくれた。
健康にも配慮し肥満防止や薄味の献立のお陰で子供たちも丸く育ってくれたように思う。
妻のお陰で結婚以来の体型を維持でき洋服のサイズを気にすることがない。
それでもって、今ある洋服を何時までも「着たきりすずめ」なのではあるが。
家でいる時などは「ラフなシャツ」や「スエットパンツ」などでごろごろしている。
長女などは「ちょっとどうにかしたら」と言うが。
もう若い女など振り向いてもくれない歳なのだからいいではないか」と開き直る。
家族」があって「豊かな食卓」があり、「幸せな毎日」がある。
あと豊かな「」があったらいいのになぁ。
ちょつと欲張りすぎか 
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話 術
今年90歳になる母は多度津の次兄夫婦の家で幸せな老後を過ごしている。
ちょうど次兄が出張のため家を空けるので義姉一人では大変だろうと午後話し相手に出かけた。
若い時から俳句が好きだった母のため義姉がテレビの「NHKBS俳句スペシャル」をかけていたので一緒に見ることにした。
午後0時10分から午後5時までの長時間の番組である。
全国からFAXでの投稿句を受け付け審査するのである。
選者はテレビでおなじみ「金子兜太、稲畑汀子、鷹羽狩行、宇多喜代子、ゲストは「永六輔と岸田今日子」である。
今日の季題は「朝寝」「」「」。
全国から寄せられた5000句のなかから各々お気に入りの句を選んでゆくのだが、一人が選んだ句を別のひとりが「酷評」を言ったり「この句は季語が重なるのでよくないわ」と一人が言えば「この場合は重なってもいいのではないか」と横槍を入れたりと生放送ならではの面白さである。
いよいよ各選者が20句を優秀句として選び発表して行く。
選んだ句を読み上げ解説して行くのであるが、選者によって選ばれる句が様々であるのが興味深い。
最後の選者、ゲスト「岸田今日子」の登場である。
カメラが色紙に書かれた優秀句をアップにする。
やがてなんとも言えない独特の話術に会場は静まり返る。
「野口白汀」の、色紙の墨書きに相俟って理屈なく作者の心を感じさせてくれる。> なぜか見ていて熱くなってしまった。
「俳句っていいね」と話を向けると母は子供に帰ったように「夢の中」である。
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マニュアル一眼レフ
いつも愛用しているカメラ、「ペンタックスLX<」。
マニュアル一眼レフの高級品である。
メーカーが作ればつくるほど赤字になると言う製品で、つい最近まで生産をしていたのが不思議なくらいである。
オートフォーカスのカメラしか使ったことのない方には解らないだろうが、ファインダーのクリアーなことやピント合わせの微妙さ、そして手にずっしりとした重さがたまらなくいいのである。
しかし残念なことにメーカーもこの不景気である。
ついに生産を止めてしまった。
そうなると希少価値のカメラに愛着が湧いてくる。
いままで乱雑に扱っていたものが手のひらを返したように大切に扱う。
それどころかなるべくご登場いただかないように配慮するようになってしまった。
こんどは今風なオートのカメラの厄介になる。
ところがオートのカメラを馬鹿にしてはいけなかった。
軽いし、よく映るし、ファインダーなど見なくてもいいくらいで
そして絶対と言っていいほど失敗がないのである。
あの高級品のペンタックスLXは貴重品なので長い間大切に保存しておけば高く値がつくかもしれないなぁ。箱もあるし説明書もある。でも使用していたし、箱書きがないからなぁ。
お宝鑑定団」の見過ぎのようだ。
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BS日本の歌
世の中ずいぶんと不景気である。
仕事の量も以前と比べてぐんと減っている。
気持ちがなぜかイライラして一寸したことにも腹が立ってくる。
プロ野球が開幕したのだが存在感のない原巨人にはすぐに飽きてテレビのスイッチを切ってしまって新聞に目を通すのだが、これもまたロクナ記事がない。
またテレビのスイッチを入れてチャンネルをあちらこちらと選んでいるうちにNHK放送で「BS日本の歌」をやっている。
しばらく見ているうち懐かしい歌が数曲流れてきた。
テロップが出るのだがそれを見なくても自然に口ずさむことが出来る。
ずいぶん前の歌だが覚えているものだ。
懐かしい歌詞には若いときの苦い思い出や勇気付けられた日々が熱く思い出される。
出演の若い歌手も自分の持ち歌ではないのにずいぶんと熱唱で1時間あまり見入ってしまった。
常日頃、時間に流されてなんとなく納得が行かない毎日の時がある。
だんだんと歳を取るとそんな事ににも気づかなくなってしまうのであろう。
まだ平均寿命まで20数年余り、まだまだ先のことであるのに困ったことである。
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卒業旅行
2月で終わった13年度の写真教室。
みんなで3月に卒業撮影旅行に行こう」と誰かが言った。
大きい声なのできっと稲毛さん辺りだと思う。
卒業旅行という響きは学生時代を思い出させてくれる。
みんな「わぁー」と拍手をして行くことに決まった。
3月24日 良い撮影場所に詳しい河井さんにお願いして愛媛県「伊予の小京都大洲の町並み」「内子石畳のしだれ桜」そして「双海町夕日の撮影」が今日のスケジュールである。
最初の大洲では思い思いに由緒ある町並みを2時間かけて撮影する事が出来た。
今年は例年にない早い桜の開花で、桜をバックに坂道を下る人力車の良いシャッターチャンスにも恵まれた。
20人が乗ったチャーターバス。
運転手さんは気の毒である。
普通の観光旅行ならお決まりのコースで良いのであるが今日は「写真を撮りたい面々」である。
あそこで留めろ
そこの山道を右へ」と無理難題。
でも、運転手さんは無理を聞いてくれました。
石畳のしだれ桜」を撮影した後は普通自動車でも危ないような曲がりくねった山道を越えてバスは10キロ位の速度でノロノロと安全運転で双海町の夕日撮影場所に到着。
高い防波堤に登り三脚を立てて「沈みゆく赤い太陽と灯台」と頭の中で構図は出来ていたのだが、でも太陽は灰色の雲に隠れてしまいました。
きっと「バスの運転手さんに無理を言ったから!」。
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合格発表
義弟からメールが届いた。
次男が「○○大学」に合格した報告である。
1年間の浪人生活だったので喜びは人一倍のことだろうと思う。
子の受験などに伴うストレスは言葉では言い表せない。
この時期日本全国で喜びと落胆のドラマが繰り広げられていると思うと少し前までの我が家のことが思い出される。
次女の国家試験の発表まで約1ヶ月あまり。
毎日重く長い日々であった。
気をまぎらすように妻と墓参りに出掛けた。
何気ない会話をしながら草むしりや掃除をして仏花をあげ線香とロウソクに火をつけいつもより長く手を合わす。
かなわぬ時の神頼み」であった。
ご先祖さん頼みましたよ。上手くいかなかったらもう来ないから」などとお墓を脅迫する。
本堂ではお賽銭を奮発して「おりん」をいつもは「2回」鳴らすのだけれど今日は「何回」も鳴らした。
結果はもう出ているのだから仏に頼んでも変らないのだけれども人間勝手なもんで自分の我慢が出来ないことをご先祖様に押し付けてしまった。
3月の末に「合格したよ」と携帯電話で知らせてきた時、
お墓に参ってよおーくお願いしてあったから」などと言ってはみたが結局はおろおろしていた自分が情けない。「立派な父親」にはなかなかなれませんね。

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田中一村
奄美の画家「田中一村」。
NHK日曜美術館で「黒潮の画譜田中一村」が放送されたのは15年ほど前の事であった。
いままで殆んど知られなかった「田中一村」の作品に強い印象を受けたのであるが、今日ふたたび幸運にもNHK日曜美術館でみることができた。
不遇のなかに中央画壇から決別をし奄美の海にしずむ夕日の彼方の理想郷「ネリアカナヤ」を自らの作品の中に求め、世に認められることなくこの世を去った「田中一村」。
彼の細部にいたるところまでの緻密な描写は奄美の光をうけて強烈に迫ってくる。
番組のなかで彼が二眼レフのカメラで写したモノクロームの写真が紹介された。
画家としての目は写真家とは違った独特の視点から対象をとらえ
奄美の光を見事にとらえる事ができたのであろう。
番組最後に紹介された作品「ビロウとブーゲンビリア」は亜熱帯の生命力ある植物に可憐な花とそれに舞う蝶が描かれた奄美の理想郷「ネリアカナヤ」そのものであった。
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駅 弁
小学校のころ同級生の家が駅弁会社をやっていた。
小富士軒」と言う屋号の会社が多度津駅前にあって鉄道の売店やホームで駅弁販売、そして食堂などを手広くやっていた。
たどつー、たどつー」と列車が着くと構内放送が響く。
そのころはまだ蒸気機関車の時代だった。
売り子が肩掛けベルトで大きな売り箱を前に弁当を山積みにして列車の前から後ろへと「弁当ー弁当ー」とホームを行き来して売り歩く。
お客は窓から弁当とお茶それに新聞などを買い求めるのであるが発車のベルが鳴るとあちらこちらで催促の声があがるが売り子は平然とこなして行く。
やがて動き出した列車の窓には唐津のお茶入れが並んでいた。
都子ちゃんという同級生とは仲が良かったのか良く遊びに行った。
駅弁工場に行った時おばちゃんが揚げたてのカツを弁当に入れるように切ってゆく。
当時貧乏人の子沢山でめったにお目にかからなかったからか、そのカツは美味しそうでとても「でっかいなぁ」とおもったものだった。
夏になると食堂には「コトコト」と音を立てて機械が回っていた。
機械からつながったパイプから「チョロチョロ」と水が出ていて、その水で冷やしたジュースを麦わらストローで一気に飲むと「キぃーん」と頭がした。
会社から少し離れたところに2階立ての立派なお屋敷があって都子ちゃんたち家族はそこで暮らしていた。
家に入ると商家なので帳場があって親父さんがいつも座っていた。
とても大きな人で体に似てデッカイ声で「勉強しとるんか」といつも言っていた。
都子ちゃんは都会に嫁に行き兄弟もみんな家を出てしまった。
跡を継ぐ者がいなかったのか親父さんが亡くなってからしばらくして駅弁会社は無くなってしまった。
最近駅前整備のために長い間誰も住んでいない2階建てのこの屋敷も回りを足場で囲みネットを張って解体の準備をしていた。
壊れた板戸の間から帳場の机が少しだけ見える。
何十年前とすこしも変っていない。
デッカイ声が聞こえてきそうである。 
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まぐまぐ
以前から「まぐまぐ」からのメールマガジンを購読していて。
ウイークリーまぐまぐ」で面白そうなマガジンを見つけると何となく購読手続きをしてしまい、今までに二十数誌になるのです。
中でも読み応えのあるのが「編集長 村上龍 Japan mail Media」。
作家「村上龍」が経済や政治などの問題点あげていろいろな専門家から意見を取り上げるという硬派のメールマガジンである。
回答者の経済エコノミスや海外の専門家、そして大学教授などが新聞やテレビなどと違った視点で意見を戦わすので量もずいぶん多く数日も未読のままになってしまうことさえある。
今日のテーマは「田中外相更迭問題で小泉首相の支持率が下がったがこれが日本の経済にどのような影響を与えるか」であった。
う〜ん。
もう一つ硬派では、「河野太郎」の「ごまめの歯ぎしり」がある。
これは政治の世界の裏表を正直な語りで迫る好感の持てるものである。
軟派では「呑み屋の女将の徒然日記霞ヶ関、乙女の館」。
女性の感覚で世の中の人間模様を楽しく語ってくれて、とても癒される作風となっている。
今日また面白そうなのがあり新しく購読手続きをした。
手続き完了の画面に
はじめての方10回目の方」とあったので「10回目の方」をクリックしたら。
10回も、つかってくれて、ありがとう、まぐを。」だって。
お主!なかなかやるな
はじめて「まぐまぐ」ご利用のかたは  http://www.mag2.com/  にどうぞ。
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猫の話
昼食を終えてぼんやりと店番をしていた。
自動ドアが開いて20歳くらいの娘さんが入ってきた。
お宅では白と茶に灰色のふさふさとした毛の猫を飼っていますか」と聞く。
いいえ」
家では猫は飼ってはいませんが

それで....>」
と訊ねると、
先ほど前の道で猫が車に轢かれたのです。見かねて急いで動物病院に連れて行ったんですが、毛並みから野良猫ではなさそうなのでお宅の猫かと思ったものですからと言う。
いつも車の通行が多く、そんな事に気がつかなかったのだが。
道路に出てみると道の真ん中に黒く濡れた跡がある。
指を差しながら対向してきた乗用車が自分の目の前で轢いて行ったのだと目を赤くしている。
病院に行くまでは何とか息をしていたようだったのに、電話があって死んでしまったそうだ。
病院では始末をしてもらえないそうで、仕事の途中だけれど引き取りに行くところだと言う。
ご苦労様ですね
と労わってあげると、
可愛い猫なんですよ
と言いながらエンジンをかけたままの白い車に乗り込んだ。
いまどきの交通事情、車に動物が轢かれるのは珍しくもない。
まして関係のない猫の事を自分の飼い猫のように思うなんて。
それに動物病院での出費などを覚悟しなくてはならないものを。
「世の中捨てたものでない」とよく人は言う。、助からなかったけれど、猫は彼女の優しさに包まれてきっと天国に昇っていったことでしょう。
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写真教室
昨年5月に始まった写真教室も2月で1年の予定を終える。
定年を迎えてこれから趣味にという初心者からベテランまでいろいろな方がいっしょになって勉強会や撮影旅行にあっという間であった。
各々の名前をいまではすっかり憶えるようになり、なんとなく性格まで解るような気がする。
陽気で朗らかな稲毛さん、まじめで几帳面な青山さん、笑顔のすてきな女性の箸方さん、撮影旅行のお世話をしてくださる青井さん、そしてとても美しい写真を撮られる河井さんなど。
毎月に持ち寄った自慢の作品をみんなで批評し合うのだがときには初心者の方の作品に「ハッと」させられることがある。
そこが写真というものの魅力かもしれない。
それぞれが違った性格のように、撮ってくる写真にはそれぞれの写真がありその人の感じるものはその人の人生観なのかもしれないと思う。
たくさんの写真仲間と合うことが出来、そしてとても有意義な一年であった。
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落葉焚き
我が家の小さな庭に一本の松の木がある。
長女が生まれたころ、山にピクニックに行って小さな苗木を取って帰って植えたものが大きくなって屋根まで届くほどになっている。
冬になって松の葉が地面いっぱいに落ち、何度か掃除をして一ヶ所に集めていると庭に放し飼いにいているチロが暖かいのだろう鳥の巣のように丸く寝床にしているようだ。
風の吹く日にまた落葉が飛んで汚くなるので犬小屋に布団をいれてやり松の葉は焚き火にすることにした。
火を点けると白い煙がひとすじとなって冬空に上ってゆく。
パチパチと小さな音をたてながら焚き火が体を温めてくれる。
焚き火の匂いは何故か懐かしい。
子供の頃、何度も行った瀬戸内の「小島」で祖母がかまどで燃やす松の葉の匂いである。
つるべで井戸水を何回も風呂に汲み、松の葉で沸かした五右衛門風呂に入った「小島」での思い出。
もう祖母はいない。
来島海峡を跨いで立派な「島なみ大橋」がすぐ近くに架かったと言う。
小島」にはもう随分と行っていない。潮の流れやあの赤灯台は昔のままだろうか。
*注「小島、おしま」愛媛県今治市沖の来島海峡に浮かぶ小さな島
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写真家アラーキ
ようこそ先輩というNHKの番組がある。
各界の著名人が母校の小学校で特別授業を行うという企画の番組でご覧になった方もおられると思う。
今日の先生は写真家アラーキこと荒木経惟である。
アラーキと言えば過激なヌードと思われているが、発表されている下町の人々の姿を写した作品や写真集では氏の本質を豊かに表している。
番組では生徒たちが身近な友達の顔をおもいおもいに写すことから始まった。
友達の顔を撮るというなんでもない作業に戸惑う生徒たち。
そこで荒木経惟は自分がお気に入りの3枚のポートレート写真をみせる。
「笑顔の花屋のおばぁさん」よぅ! と手を上げた晩年の「笠智衆」、そして「亡くなった母の死顔」
荒木は以前
母が死んだとき、自分の情感をすべて入れて写真にできるかどうか。」と、そして「人を写すための心構えはその人との関係を写しこむことである。」と新聞で語っていた。
今日の授業でもその撮り方を大らかに子供たちに伝えていたのが印象的だった。
おりしも荒木経惟が全国47都道府県を回って日本人の肖像を撮影する「日本人の顔」プロジェクト(紀伊国屋主催)が今年スタートした。
何年か前、香川県東部の町で荒木経惟に町をテーマに撮影依頼したものの「過激なヌードの写真家反対」のこえに企画が中止になったことがあった。
惜しい事をしたものだと思う。
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寒い日
大寒がすぎてもまだまだ寒い日は続く。
昔から奈良のお水取りがすむまでは暖かくならないと言われてきた。
低気圧のせいか今日はとくに風が冷たかったのに生憎と屋外での仕事になってしまった。
もともと寒がりなので木綿の下着のうえに妻が買ってきたキルティングの防寒下着を重ね着にしてセーターに防寒服で重装備で出掛けた。
昼前には風はなくなったと思ったらこんどは空から白いものが降ってきた。
いゃだねったら、いゃだね」。
夕方早めに帰宅する。
妻が
今日は寒かったでしょう。おふろ、お湯はいってますよ。」と迎えてくれる。
すこし熱めの湯にはいるとジンジンと手足がする。
ふぅ」と大息をすると体が生き返るようである。
風呂から上がって妻となんだかんだと話しをしながら食事をしているとなんだか気持ちが暖かくなってくる。
なんでもない日には感じなかった夫婦の時間がこんなに良いとは思わなかった。
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柴犬チロ
チロが我が家にやってきたのは平成4年だった。
下の娘が中学校に入ったころ6つ年上の姉は大学生になり県外にいってしまう。
妹が寂しかろうとみんなで話しあった末に育てやすいオスの柴犬を飼うことにした。
ペットショップに行ったら小さな子犬が2匹ほど展示ケースのなかでじゃれあっていていたが、あいにくオスはいないらしくて柴犬メス35000円と値札がついていた。
よくみると隣のダンボール箱のなかに1匹オスがいたので店員さんに
あれはいくらか」と訊ねると
血統書がないので売れない」とのことであった。
血統書などいらないから」と言うと渋々
5000円くらいでどうでしょう」と話がまとまった。
子犬を5000円で買う事ができ、飼育ゲージに水入れ、ドッグフードなどと別に15000円程の買い物をしても血統書のないおかげですこしは予算が浮いた。
2,3日後動物病院に予防注射に行った。
先生が
何ヶ月位か」と聞くので
血統書がないので解らない」と言うと犬の値段を聞かれた。
5000円だが」と言ったら女の助手にぼそぼそと何か話すと> 「あの〜、3種混合のワクチンと他に検査などで15000円程かかりますがいいですか」と助手が念を押した。
何も5000円犬用のワクチンがあるとも思っていないのでそれ位は覚悟していたのに
もぅ!」。
チロは家族みんなで大事に育てたからかとても柴犬とは思えないくらいオトッチャマ「怖がり」で、道では車の音にビビリ通しであった。
次女などは
恥ずかしくて散歩にもいけない」と嘆いていた。
あれから10年、そんな彼女も昨年社会人となりいまはひとりで生活をしている。
送ってくるメールには
チロはどうしていますか」と聞いてくる。
寂しかろうとデジカメ画像を送って
チロは元気です」と返信する今日この頃なのです。
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すきな写真家
橋口譲二。
17才の地図」,「」,「father」、「」など数々の写真集を発表している。
いろいろな職業を経て写真家になったからか、氏の作品には人というものを正面から見つめる眼差しがある。
NHKで放送された「心の旅」でキューバに渡った日系一世を訪ねる番組を見る機会があった。
番組の中で
はるか遠いつらい記憶のなかにを生きてきた日系人たちの姿を写真に収める作業は、眠った子を起すようでとてもしんどい思いがする。
でも彼らがカメラの前に立ったとき、背筋をのばし凛とした姿には勇気付けられるのです
」と語っている。
ここにある写真集「」は「心の旅」と同様に日本全国に旅し、明治、大正、昭和、平成と4つの時代を生きた人々を収めた作品である。
」のなかで97名の人々は決してはにかんだり笑ったりはしていない。
堂々と生きてきた自信がその表情に表れているのである。
今日17日は阪神淡路大震災の日である。
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わが心の絵画展
いつもの画廊喫茶に入ると50号の作品が力強く迫ってくる。
テーマの「駅の風景」にはわたしのすごした子供の頃の風景が丹念に写し込まれているからかもしれない。
多度津駅が今よりずうっと活躍していたころ、作品に絵かがれている給水塔には水が満々とし給水塔下のポンプ小屋には24時間職員が慌しく働いていた。
蒸気機関車が給水に訪れると蒸気の匂いと石炭の煙が辺りに漂い機関車の息づかいが聞こえた。 
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金毘羅さんの干支置物
不況真っ只中の12月も終わろうとしてる。
今年こそ良い事があるようにと正月の金毘羅参りを続けてきた。
商売繁盛のお札に替わってご利益の「金毘羅印」のはいった「干支置物」を買い求めるようになって9年ほどになる。
今まであまりご利益らしいことに巡りあっていないが、あと3年参ると12支揃うのでその時まで楽しみに待つ事にしようと思う。
来年は午年なのでウマクすると「天皇賞」で大穴でも当たるかも() 
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NHKラジオ歌謡「里帰り」
10月ごろからNHKラジオからながれてくる「新ラジオ歌謡」に心ひかれるものがあった。
歌声に節回しは若い頃に好きでよく聞いた三橋美智也かと思うばかりである。
年の瀬のNHKラジオ放送にちょうどご本人がゲストとして出演しているのを聞く事が出来た。
しま みきお」54歳、曲名は「里帰り」。ちょうどわたしと同じ歳である。
インタビューの中で長年三橋美智也の付け人をしていて最近この曲で売り出したとのことである。
高年者リストラの昨今、なつかしの三橋美智也に縁があり、54歳の哀愁のある歌詞と歌声にすこし「ウルルン」としてくるのでした。
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餅つき器
昔からくらべるとだんだんと餅をつかなくなって今年は1升だけつくことにした。
子供が小さいころは珍しがってわいわいと賑やかだったが、大きくなってしまうと「餅つき?」などとあまり関心がないようである。
でも、そとに出ている次女から
今年は餅つき何時」などと電話があると、毎年のように30日にがんばろうと餅つき器を出してきた。
結婚した年に買った「電気餅つき器」は大きなミキサーのような形で、スイッチを入れてみると正常に回っている。
妻の用意したもち米をセットし蒸し、つき始めると何か「ガリガリ」と異常音がする。
それでもなんとか餅をつきあげ1升で小さな鏡餅2重ねとあんこ餅30個あまりをつくることができた。
片付けをしようと見ると「ガリガリ」の原因は心棒のところが黒く変形していたからのようである。
いよいよ来年は新しくしなければと思うとともに家族が無事で30年も餅つきができた幸せに感謝の年の瀬でした。
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ニューイャーコンサート
新年はいつものように家族みんなで金毘羅さんにお参りし今年の干支の置物をいただいてかえり、妻の手作りのおせちを食べたあとはごろごろと好きな事をして時間など気にしないで過ごす最高の日です。
毎年楽しみにしているのが夜の「ニューイャーコンサート」で、今年は日本人の「小沢征爾」が指揮をするというのです。
新聞報道などではチケットに2,3倍ほどの予約がきていて手に入りにくいだそうですが、我が家ではテレビ鑑賞なのでその心配はいりません。
ラフな格好でごろんと寝転んでウインナワルツを聴くなんてこの上ない贅沢であります。
美しき青きドナウ」はとても良かったですね。
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ドラマながらえば
今年の冬は例年になく雪が多いようだ。名古屋で16センチ富山猪谷で66センチとラジオから天気予報がながれてくる。
富山猪谷と聞いて、ふと1982年にテレビで放送されたNHKドラマ「作脚本山田太一。主演笠 智衆ながらえば」を思い出した。
名古屋の病院に入院中の妻と離れて転勤になる長男家族と共に富山に移り住んだ年老いた夫「隆吉」、頑固な昔風の男のため妻に一言も別れを言わず来てしまった。
妻を想い名古屋に帰って一言いいたいと思うのだが長男夫婦にその事も言えない。
仕方なく嫁のいない台所からの3000円を盗み途中までの乗車券で名古屋に向かうが、急行列車に乗っていたため車掌に小さな猪谷駅で降ろされてしまうのである。
この猪谷でのシーンがこのドラマのクライマックス。
名古屋行きの電車がなくなり静かな猪谷駅。
やがて日も暮れて途方にくれながら古い小さな旅館の前に立つ隆吉。
宿賃もないまま泊めてもらう後ろめたさが普段着の隆吉の姿に表れている。
その夜の旅館の主人「宇野重吉とのシーンでは人間模様が人の心を惹きつける。> そして自然と引き込まれてゆく。
後日、「この作品で心がけた事は」とのインタビューで
笠 智衆」は、「大げさではなく自然に」といっている。
小学校のころ文部省推選映画を学校から見に行った。
あまり面白くも無く暗い映画ばかりのような記憶がある。
でもいつの頃からか人の心や人間模様をテーマにしたものを好むようになった。
今の子供たちにも見せたい作品である。
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ビルの谷間の観音様
正月から大風ばかりで外に出るのもおっくうになっていたが、
今日6日はひさしぶりの晴天である。
こんな時はカメラをもって撮影に出掛けなくてはと思ったものの
さて、何処へと考えた末、以前から気になっていたお寺に行く事にした。
高松市役所すぐ北。
五番町に大きな観音様が空から見下ろしておられる。
この法泉寺に観音様が建立されたころ、この辺りには高い建物もなく一番高いところから慈悲の眼差しで世の中を見てこられたのであろう。
でも、今は周りをビルに囲まれて寂しそうである。
せめて良いお姿にと青空をバックに一枚撮らせていただいた。
朝の光に輝いてすこし微笑まれたようであった。 
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家庭内別居
家庭内別居といっても別にややこしい話ではない。
だだ寝たり自由にしているところが妻と別々の部屋にしているということなのである。
夕食を終え風呂に入っていつものようにパソコンでメールチェク。
すきなカメラ雑誌を見たりカメラを出してきてレンズを着けたり外したり。
妻は食事の後片付けのあとは洗濯、そしてストレッチ体操が日課である。
ときどき私のところへ「おとうさん薬つけてくれる」とやって来る。
裸になった背中に軟膏を塗りながら昔はピチピチしていたのになぁ!。
テレビを見るのにも気兼ねなくチャンネルを選べるのだが、
上の娘が会社から帰宅して
また!同じテレビを見ているのだから」と小言を言う。
ほぉ、あいつも同じか」とすこしニンマリするのである。
今日おない歳の親戚が来て
正月に結婚した子供たちが帰省して大所帯になって、何年ぶりかに嫁さんといっしょの部屋で1週間いたら肩がコッタ」と話して帰った。
でも、笑顔での話しぶりからまんざらでもなかったようだが。 
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