独 り 言 T へ | ||||||||||||||||
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壊れ行く町 四国香川の小さな田舎町。 その小さな多度津で生まれ育ち、今も何かの繋がりがあって想い出の深い町の姿が、すっかりと壊れていきます。 友達や仲の良かった人たちが住んだ家々も空き家となり、たくさんあった町営住宅が次々と更地に変わっていきます。 町を流れる桜川はちっとも変わってはいません。 川に面した古い外科病院跡に数本あった桜の木が、今日も秋の気温と共に赤く色づいていきます。 一日ブラブラとカメラを提げて町を歩くと、おんなかわいい出会いがあります。 寒くなって来て、日向が気持ちいいのでしょう。 少しも警戒しないで、こちらを見つめていました。 こんな素敵な時間が、いつまでも続くことを願っています。 2023年11月30日 ページトップへ 凪の朝 高松市の香東川河口付近から見る瀬戸内海。 この日の朝はとても静かで、海とは思えないほど凪いでいる。 向かいに見える女木島が、近くのように感じる。 堤防沿いに行くと、サンポート高松のシンボルタワー、その向こうに霞に煙る屋島の姿がとても綺麗。 高松漁港辺りに来ると、見る景色が違ってきた。 漁港の雰囲気が好きで、あちらこちらと写して歩く。 県の魚市場付近には「うみまち商店街」があって、個性あふれるお店が並でいる。 昨夜の賑やかさが朝も残っていて、今度は夜に来て美味い魚を食べて、飲んで、面白い写真も撮りたいと思ってしまう。 この辺りには昔、漁師の妻たちが自転車のサイドカーに魚を乗せて街に売りに行く「いただきさん」の姿を、たくさん見ることが出来た。 そのような懐かしい光景、今は昔でもう見ることが出来ないようだ。 漁港の周りをぐるっと歩き、朝の潮の香りを感じながらの撮影は時間を忘れてしまうほどだ。 2023年11月15日 ページトップへ Pentax X5
オートフォカスが矢鱈に遅いこと、そしてシャッターラグが大きいことです。 10年前に作られたので仕方ないのでしょうか。 これは使えるのかなと、はじめは思ってしまいました。 でも写った写真はこの通りです。 しっかりとカメラの特徴を覚えて、経験でカバーすれば良いことです。 長い間の経験は、無駄ではないことが解りました。 弘法筆を選ばずと、いうことにつながるのでしょうか。 先日11月11日に、「にし阿波花火」の撮影に持っていきました。 いわゆるバルブでの花火撮影ですが、このカメラにはそれがありません。 フルオートでの撮影で、花火が打ちあがってシャッターを切ると、一呼吸おいて切れると言う具合。 その遅いタイムラグとシャッタースピードの間に、思いもかけないたくさんの絵が写しこまれました。 高性能ではないカメラの面白さが、ここにはありました。 少しピントが甘いのと少しのブレは、ちょっとしたことです。 回数シャッターを切れば、しっかりとしたピントの写真も何枚か撮ることが出来ました。 フイルムの時代だとそうはいきませんが、デジタルのおかげと思っています。 高性能で高額のミラーレスカメラでバッチリと写した写真が流行りの昨今、ゆっくりと頼りないカメラに委ねながら失敗写真を楽しむ、年寄りにはこれが一番だと思ってしまいます。 2023年11月11日 ページトップへ 与島を一日楽しむ 与島は瀬戸大橋の中で、一般の人が車で降りられる唯一の島。 車で入れるのはパーキングエリアまで、そこから島内へは徒歩で行くことになります。 軽トラックに自転車を積んできたので、第二駐車場から自転車で島内を一周することに。 駐車場から広い道路を南に進み、途中から細い道に入ると島の雰囲気がいっぱい。 朝の光の中に見える素敵な景色に、何度も止まっては撮影を楽しむ。 集落には共同の井戸や、家ごとに井戸が何か所もあることに気が付く。 水道が通るまでの昔の生活に思いをしながら坂道を下ると、目の前に光る海が見えてくる。 漁港のすぐそばの大きい橋脚から真っすぐに伸びた瀬戸大橋は、遠くまで雄大な姿を表す。 見上げると、JR電車がゴーゴーと大きい音をたてながら瀬戸大橋を渡っていく。 漁港すぐ近くの堤防沿いの道を行くと、1872年に点灯した石積みの鍋島灯台が見えてきた。 鍋島灯台は、瀬戸内海で最初の緑色と赤色が交互に光る珍しい灯台。 記念日しか入れないと思っていたのに、この日はうまい具合に敷地内に入ることが出来た。 浦城(うらじょう)辺りは島のなかでは大きい集落。 琴参バス瀬戸大橋線のバス停留所は廃船を使った待合室でちょっとしたレトロな雰囲気がいい。 待合のベンチに腰をかけて休んでいると、ほんとうに時間が止まったよう。 島の一周道路を走って北端の与島港に来ると、瀬戸大橋が開通した頃のレジャー施設の面影 が残っていて、そこからの岡山方面への瀬戸大橋の眺めは素晴らしい。 2023年10月28日 ページトップへ 写真とphotograph カメラで撮影したものを写真というのですが、見たまま、そのまま綺麗にと言うのが一般的に考えられていると思うのです。 でも撮影対象をそのまま写すと言っても、現代のデジタルカメラはいろいろ複雑な回路で画像処理をして、そのデジタル画像を色々なモニターやプリンターで出力して見ているのですから見たままでは無いと思うのです。 あとは撮影した人が感じた色やトーンを再現しているのだろうと思っています。 わたしは以前から画像処理ソフトを使い、自分が感じた色やトーンを求めて作品作りを行っています。 そんな我が作品を見て、「パソコンでだいぶイジッてるなぁ」と言う方がいます。 そんな時 「あ、そう、わたしはこんな風に感じたのですが」、と言ってスルーしています。 Photographと言う言葉を聞きます。 WEBの世界を見てゆくとそこにはいろいろなフォトグラファーが活躍していますね。 facebook に instagram などSNSなどでは毎日目まぐるしく映像の世界が飛び交います。 そこには、自由な作者の思いのままの色や光が広がって、魅力を感じるartの世界がいっぱいです。 その昔岡山の緑川洋一が瀬戸の風景を何枚もの色フィルターを使って多重露光で撮影した作品があります。 風景写真の大家も苦労した一枚だったでしょうが、今だったらどんな作品を撮るのかと思ってしまいます。 ここでちょっとやり過ぎ感の我がart作品を。 これが元画像 もう一枚 元画像 滝宮天満宮 うそ替まつりの作品 ごく普通のお祭り写真ですが、うそどりにインパクトを与えました。 「ちょっとやり過ぎ感があるかなぁ」と思ってしまうのは自信がないからかもしれませんね。 2019年5月5日 ページトップへ 渡 邊 邸 香川県三木町下高岡2569-1 琴電長尾線白山駅徒歩5分。 高松築港駅から琴電に乗って30分余りで白山駅に着く。 ホームだけがある白山駅を降りて、線路沿いに田舎道が続いていてゆっくり歩いても5分ほどで 渡邊邸にたどり着く。 歴史を持つ由緒あるお屋敷だそうで、数年前までは忘れたままになっていた。 その時々に多くの茶人が訪れた茶室も、使われ無いまま時は過ぎて。 先人の心を継いだ縁者の努力があって、見事に昔の輝きを取り戻した。 今日は秋の彩りを愉しみながら、ひとときを過ごす。 私が生まれたのは香川県多度津町。 明治のころ讃岐七福神と言われた多額納税者が多度津にはいて、明治の経済人であった。 町を歩くと今も古くて立派なお屋敷が残っている。 若いころ、その中の塩田家には仕事でたびたび訪れて、合間にはお菓子にお抹茶を頂いた。 お茶の作法はそれほど知らないが、とみ様が「作法など気にしないでいいから」と鉄瓶の沸きたて のお湯を注ぎ、点ててくれたお茶はとても美味しいと思った。 とみ様が亡くなってもう20年余り。 渡邊家のお庭を愛でながら少し昔を懐かしむのでした。 2018年11月25日 ページトップへ ペンタックスリコーファミリークラブ゙高松 ペンタックスリコーファミリークラブはペンタックスカメラユーザーが集まるクラブです。 以前と言っても、もう十数年前まで私が入っていたのがペンタックスファミリークラブ。 小さいMV1というカメラを買ったとき、箱の中に入会案内があってその時入会してしばらくメンバーでした。 各地に支部があって色々な行事が会報を通じて案内があったのですが、四国は田舎、それにニコンにキャノンのユーザーが圧倒的に多い土地柄、ペンタックスの支部はなく、遠い支部の行事しかありませんでした。 そのご十年余りファミリークラブをお休みしていたところ、三年前に高松支部ができるとホームページで紹介があって、ずっと気になっていたのです。 10月、そんな高松支部が初の写真展を開くと知って出かけることに。 写真展「PHOTO EXHIBITION ひかり」は思っていた以上に良い作品が揃って、会場の雰囲気も良くて、しばらくの時間を満喫出来たのです。 若いころ、ペンタックスの支部ができたら入りたいなぁと思っていたのが今となってはシルバー年齢となり、なかなか健康のことや、行事に着いていけるかなど、とても考えてしまいます。 老いぼれはある日突然バタンと天国に行ってしまうかも知れないし。 今日お会いした新しい高松支部の人たちは、若い方が多くて、とても活気があって、和気あいあいの雰囲気がとてもよかった。 名刺を頂いた支部長のYさんは、若くてはつらつとした実業家の感じで、好感度大。 会員の半分ほどが女性会員だとか、華やかな感じがするのはそれだからかなぁ。 それでと言う訳ではないが思い切ってfacebookで友達申請をポチッとしたらOKが出て、メンバーにも入れていただいた。 これからは老いぼれが迷惑をかけないよう席の端っこで大人しく・・・・・?。 2018年10月28日 ページトップへ ホームページ ホームページを立ち上げたのが2000年 もう18年も続けていることになります。 趣味で撮った写真を残しておく目的で始めたのが、きっかけでした。 今と違って電話回線を使っていたので大きい画像はアップできず、なんとなく頼りないページ作り だったように記憶している。 それでも相互リンクで繋がるネット仲間ができ、夜遅くまでパソコンに向かっていたのが楽しみで した。 その後ADSLとなり、今は高速光回線で大きい画像が送れるようになりました。 デジタルカメラも高画質になって、アップする画像も綺麗でホームページらしくなってきました。 ところが最近はブログにファイスブック、インスタグラムの愛好者がおおくなり、ホームページを 上げる人が希となる時代がやってきました。 わがホームページの相互リンク先も閉鎖が相次ぎ寂しいものになってしまいました。 最初の目的である写真を残すのは今も同じで、撮影から帰るとページ作りが楽しみです。 そして18年も同じことをやっているのですから、どんどんページ数が増えてきます。 もう何回も見ることはなど無いかと、古いページを削除すればとも思うのですが、なかなか家の中 の物々すら断捨離出来ないのにと思ってしまいます。 いつまで撮影とページ作りが元気で続くか分かりません。 多量の写真にちょっと辟易としながら自己満足の毎日です。 2018年8月25日 ページトップへ 巨人とO N 子供の頃からずっと巨人ファン。 V9時代は本当に強かった。 最近の巨人は強いのか弱いのか、ほんとうに解からないときがある。 1点が捕れなくて連敗があったかと思うと、これが野球かと思うほど点を捕って、それなら明日に捕っておけばいいのに。 出てくる選手は昔に比べて個性が余りないように思うし、みんなイケメンでスマート。 その上怪我人が多く登録抹消でいなくなる選手が多いこと、キャンプで何をやってきたのだろうかと不思議に思ってしまう。 毎年高い契約金で獲得したドラフト1番や2番が居たはずだが、代わりの選手はなかなか出てこない。 たとえ出てきたとしても期待したほどの活躍ができていない。 そんな中、ルーキー投手の高木勇人が開幕5連勝中。 社会人野球出身で何年もドラフト候補になったのに捕ってもらえない悔しさを味わった苦労人です。 ちょっと期待してテレビ試合観戦が楽しみになってきた。 NHKのスペシャル番組があって王、長嶋が出演。 宿敵の星野仙が二人にあれこれとインタビュー。 懐かしの天覧試合、長嶋のさよならホームラン画像。 世紀の王のホームラン世界新記録達成ビデオを見るにつけて、何か涙が出てきた。 長嶋さん「今はスーパースターがいないね!やっぱりスパースターがいないとね。」 王さん「3打席三振しても4打席目にはホームラン、それを見に来てくれるファンがいたから。」 ページトップへ 入 院 夏間近の七月、右腕を大怪我してしまいました。 救急で来たのは香川大学の付属病院。 整形外科のN先生、「手術が必要ですね」。 いわゆる全麻で緊急手術。 N先生、初めてなのにどこかでお会いしたような気がして?。 いえいえお初でしたが、なぜか安心しておまかせする気がしました。 65年生きてきてはじめての手術入院でした。 二ヶ月の入院。 本当は辛い入院ですが、なぜかいい思い出しかありません。 看護師さんもよくしてくれたし、リハビリの先生も一心にしてくれました。 右腕だけの怪我なので歩くことや、食べることにそれほど不自由はないので院内を歩き 回ったり、大学構内を散歩したりと制限はあるものの自由を楽しみました。 病棟の職員の名前もほとんど覚えたし、構内のスタバなど暇があると出かけてしまう。 ここへ来てから院内の散髪屋に二回も通った。 散髪屋の主人が「刈るとこがないくらいや」と困惑顔。 同じ病棟の入院患者さんとも懇意にしていただいた。 まぁ、みなさんここでは退屈しているので元気な者は寂しいからでしょうね。 同室の若い大林さんとはカメラ好きと言うことで特に話が合ったのですが。 退院したのが9月の末。 それから12月の中ごろまで週三回のリハビリ通い。 怪我当初は右腕はダメかもと思ったことも。 しかし腕のいいお医者様とリハビリを一生懸命し、お陰さまで元通りとはいきませんが、 まぁこんなものでしょうというくらいまで回復しました。 入院の様子はこちらから? 「ひと夏の出来事」 見てもらうほどのことではないかな! ページトップへ 記憶の片隅 もう何年も前の話。 朝起きて、かがんで靴下を履こうとしていた時。 鼻の辺りがなんとなくムズムズして思わずくしゃみをしてしまった。 その時、腰の辺りに電気が走ったような気がしてそこに座り込んでしまった。 いわゆる「ギクリ腰」と言うやつで、数年に何回かやってしまう厄介なものである。 トイレはもちろんちょっと動くだけでピリピリと痛みが走ってこりゃ困った。 その日は約束の用事があって、休むわけにはいかないのである。 そこで、車にそーっと乗り込み痛みを我慢をしながら、いつもの外科医院で診察をしてもらうことに。 腰を屈めてそろそろ歩いて来た姿を診て、先生「えらそうやなぁ」(讃岐弁で辛そう)と。 先生は慣れたものである。 レントゲン数枚撮って骨に異常が無いのを確認して、診察台にうつむきになって腰辺りの背骨付近に針治療をしてもらう。 針から伝わってくる電気信号のビリビリが背骨にもろに利いてくるよう。 15分ほどで治療が終わると不思議なもので腰に少しは違和感があるものの立ってすいすい歩けるようになった。 ここの外科医院、最盛期には入院患者で病室は満員。 診察待合には朝から患者でいっぱいの日々でした。 それが先生が高齢になられてからは患者も少なくなり、膏薬目当ての年寄り多くなった。 治療は最大限で治療費は最低限の医は仁術のこの外科医院。 あの時のギクリ腰の時の治療費だってレントゲン数枚撮って二千円程だった記憶が。 医院の跡継ぎのいない先生が亡くなって、もう何年にもなる。 ある日思いがけず医院内を撮影することができた。 古びた病室を撮影しながら記憶の片隅にあの日のことが蘇ってくるのでした。 ページトップへ |